平成最後の夏期講習PoliTech教育コミュニケーションについて考える


今回はBの島の教育コミュニケーションについて、ポリティカル&テクニカルに考えてみる。

教育コミュニケーションねぇー。

まとめテンプレ

  • 今までの分野の課題
  • 今後の分野の課題
  • 問題解決の指針(何をどうしたら)
  • ポリ(政策的に解決するには)
  • テック(技術的に解決するには)
  • その分野の未来ビジョン

B:教育コミュニケーション

第一回 平成最後の夏期講習(社会科編)B:教育コミュニケーション

2018/7/31 第一回平成最後の夏期講習(社会科編)
テーブルB<教育・コミュニケーション>
「どうすれば多様で自由で信頼性の高いメディア空間を創れるのか?」
★NewsPicks取締役CCO 佐々木紀彦
・読売新聞東京本社編集委員 猪熊律子
・PLANETS 編集長 宇野常寛
・東京大学 情報理工学系 准教授 川原圭博
・株式会社LOUPE 代表取締役 浅谷治希
・カドカワ株式会社 代表取締役社長、株式会社ドワンゴ取締役CTO 川上量生

議論ピックアップ

教師の数が多すぎる
先生が生徒にとってのメディア
教師が現実を知らない
教室のオープン化が必要
社会保障の楽しさを教えてこれなかった
工業社会ではなく情報社会なのに教育が変わってない
教育を変える唯一の解決方法は「なし崩し」
多様性を持ったAIのよるカスタマイズされた教育
教える方、教科書に読んでもらいたいというサービス精神がない
学校教育は十数%しかインパクトがない(遺伝が半分、残りは家庭)
テクノロジーを使って海外やお爺さんお婆さんと繋げないか
世代間対立につながる可能性
徴教師制(教えたいと思ってない人を教師にする)
既存のシステムを変えようと思ってない人が教師になっている
学習進度が違う子達を纏めて指導するのは無理
大人になって必ず必要なものにもうちょっと時間を割いて(社会保障、金融)

今までの教育コミュニケーションの課題

先日中小企業振興公社の方に聞いたところ東京では「ものづくり」での起業はわずか4%程度しかないという。しかしながら、産業支援制度をはじめ教育制度もいまだにものづくり社会を念頭に制度設計がなされている。

ものづくり社会においてはマニュアル通りにそつなくこなせる人材が有用である。汎用的に要領のよい人材が求められ、それらを評価するために型に嵌める教育がおこなわれてきた。しかし、機械化が十分に進んだ現代では量産型人材の活躍の場は限定的になってきている。柔軟性、応用性が求められるこれからの社会において求められるのは代替不可能な個性だ。いかにその個人の特性を伸ばすかが重要となる。考える力や、学ぶ力をどのように身に着けるかが課題となる。

日本の22歳以上の大学への入学者比率は世界的にみても断トツの最低である。これはつまり大学が新しい知識や技術を学ぶ場所としてはまったく機能していないことを意味する。リカレント教育が声高に叫ばれているが、きちんとした最新の知識や技術を習得する場としての大学が機能してねぇのにリカレントしてもしょうがないだろうがよ。大学は就職予備校ではないとの掛け声で現実から目をそむけているが、民間ではもはや通用しないような、古い設備や古い知識で飾られてた大学。764校もの大学が教員の終身雇用(テニュア)のために維持されている側面も無視してはならない。

商業高校や工業高校はあまり勉強が得意ではない子でも食い扶持を確保する受け皿になってきた。しかし現代においては簿記ができたとしても企業の経理部門の人手は弥生会計を入力する程度しか必要なくなり、車や家電の修理をする技術よりも、あらゆるものがモジュール化された社会においては無人化された工場で生産された部品を買い直したほうが安く早い。これじゃあ食っていけない。

労働集約型産業が終焉を迎えようとする社会において、口を糊することができる最低限の教育の場は必要だ。産業別に考えれば現代ではサービス業なのかもしれないが、そちらにフォーカスできている教育機関は少ないように思う。また、ぴかぴかのトップノッチを磨くことができる教育の場も必要だ。数学オリンピックに出ちゃうようなのはスーパーサイエンスハイスクールとかがあるので、まだこちらのほうは機能しているように思うが、双方をしっかり機能するものを揃える必要がある。

今後の教育コミュニケーションの課題

核家族化が進み地域に個人商店のようなものもなくなった現代において、子供が普段の生活のなかで接することができる大人は両親か教師のみとなってきている。あまりにも少ない。親が駄目で教師も駄目だってぇと、子供が自律的に機会を得て立派に育つのは大変な困難だ。

ファカルティ・ディベロップメント(教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組)も機能しているとはいい難い。ドイツだったか10年教授をしたら5年は民間で働くというように制度を日本も取り入れるべきかもしれない。徴教師制ででもいい、「でもしか先生(教師でもやろう、教師しかできない)」はもうやめよう。

教員が受ける3万円の免許更新講習の中身とは – 放送大学編
既に知っている内容
スキップ可能な動画
番号だけ入れればよい履修確認
ほぼ過去問であるテスト

クラスの学級委員決めるときでもそうだったが、「俺がやりたい!」という立候補よりも推薦できめたほうが、大抵はうまくまわる。本当にたよりになるやつは謙虚で控えめだからな。政治家もいっそ強制的な推薦による徴政治家制とかにしたら、どう回るか社会実験したいよね。まあ今の社会は地域のつながりが失われすぎていもう無理かもしれないけれども。推薦するにも周りの人をもう知らなくなってしまっているか?

子どもたちの生活を取り巻く外部環境の変化は過去数十年のそれとはまったく異なるスピードで変化している。これは情報化社会となったことが契機であるが、インターネット以前と以後、スマートフォン以前と以後、ディープラーニング以前と以後でまったく様相が異なるように同じよう規模とスピードで今後も変化が連続するものと思われる。これらについていけないデジタルディバイドなどを抱えた人たちが混在する環境下での教育は困難を極める。もう無理って感じ。

社内研修がしっかりしている大企業はともかく、最後に勉強したのは数十年も前じゃったかのぅという老人は社会に多い。社会のセキュリティ水準や運用水準は一番低いところに合わさるので、「数十年勉強とかしたことねぇわぁー」っていう人達の知的水準にあわさって社会は運用される。
大人の義務教育を課すべきだと思うんだよね。スマホとかインターネットの使い方とかそんなもんでいいから。還暦になったら義務教育もやり直そうぜって感じ。テストをパスできなかった人だけ2年ぐらいでいいからさ・・・。老人体育とかやれば認知症も発見できるし、いいことづくめじゃね?あ、クラス内恋愛で熟年離婚とかになると悲劇か?

問題解決の指針(何をどうしたら)

ひとりの教師が多数の生徒を抱えた密室空間。閉鎖性をかかえるのよくない。小中学校は別の問題で難しいかもしれないけれども、大学ぐらいはオープンエデュケーションで外部評価可能なものにしようぜ?

中高等は、生活面を指導する担任と、授業を教えるのはわけるべきだ。
授業もピカイチに面白く、内容もとびきりの動画素材である。Moocなどの形式で配信すれば、教師はチューターレベルでいいんじゃないかな?

英語のように、わかっていない人がわかっていない人にわかったふりして教えることほど悲劇なことははないよ。子供向けプログラミング教育の必修化とか絶対無理。こういう悲劇なんとかしようよ。

ポリ(政策的に解決するには)

昨今の文科省の不祥事や、大学への資源分配失敗を見ていると教育行政しくじってるな感がぱない。
獣医学部の新設が52年ぶりだとか、私立医学部の入試で女子は一律点数を引かれてたとか、中学生に性教育したらけしからんとか、あんなのこんなの。
なにやってるんだかって感じ。ここらへん闇しかないよね。
もったいないよ。

政治が教育に絡むと強烈なアレルギー反応があるので、アンタッチャブルだったのは理解できなくもないのだけれど、せめてもエビデンスベースドラーニングにしようよ。なんでそういしているのか、比較対象もないものを慣例だからとやり続けるのよくないよね。

中高一貫校みたいに、地域内で並行稼動でいろいろなシラバスを選択可能にして、評価できるようにしないと。日本だって北は北海道みたいな広大なエリアに広がったところから、東京みたいな小中学校が狭い地域に林立しているところがあるんだから、全部を同じ仕組みでぶん回そうとするのが無理じゃもんな。
その地域で一番適したパッケージを選べるようにしなきゃ。中国がやっている新疆に強制的な教育施設と何が違うのってことになる。
人間は選択肢が複数ないと間違えやすいんだ。教育も選べるようにしておくべきだとおもうよ?

テック(技術的に解決するには)

やっぱMoocかな。アクティブラーニングや反転学習は家で動画とかを見て勉強して、学校には宿題をやりにいくところっていうような仕組み。日本ではただのビデオ学習と混同されて誤解を含んだ形で拡がりを見せているけれども、本来は座って授業を聞いても学習定着率ほとんどないんだから、もっと能動的に学ぼうぜっていうの。

体感でもそうだけれども教育効果はラーニングピラミッドの研究通りだと思う。

ラーニングピラミッド
www.osaka-c.ed.jp/blog/ichioka/kocho/images/img_al1.gif

座って誰かの御高説聞いても5%ぐらいしか記憶に残らないの。
だから一番学習効果が少ない講義なんていうのは、お家で済ませて、学校みたいなみんなで合う場所で互いに教えあいっことか議論することに時間わりふったほうがいいよね。

オープン教育リソースとかみたない、教材開発のムーブメントもテクニカルには重要だよね。でもこれも反転学習が進めば自動的に普及されるんじゃないでしょうか。

もひとつは、二回ぐらい前のブログに書いた品川女子の学生が保護者のファンドからお金をひっぱって事業化までおこなうみたいなプロジェクトベースドラーニングの集大成。なかなかこれはそこらの学校でできることではないけれどもやれたらすごいね。

ここらへんをやるには、一般企業並みにテクノロジーに明かるい専任が必要となる。
ちゅっと詳しいぐらいの先生が片手間に面倒をみるんじゃ無理だ。学校業務の事務や情報管理は専任をおくべきだよね。むしろ教育に片手間のテクノロジーぐらいしか介在していないのだとしたら、その教育は外部環境を無視した手淫的なお慰みでしかない。そんなものに学ぶ側を巻き込むなっていいたい。

教育コミュニケーションの未来ビジョン

X年後の日本。
会社づとめのA氏に地元の中学で本年度40時間の教育実習の割当がおこなわれた。この制度で選ばれると陪審員制度と同じように、特別な理由が無い限り拒否できない。と言っても、昔の教師のように教壇に立って教科書を読み上げるように教える必要はなく、生徒達は各々の進度に応じ動画を見て勉強してくる。

教室ではディスカッションをしたり、それぞれが学んだことについてショートプレゼン(Show&Tell)をおこなう。大人はそれを円滑にすすめたり議論が変な方向に進んださいにファシリテーションしてあげるだけでいい。
クラスには複数人の大人がいるので得意なことを担当すればよく負担もすくない。
自分が担当した子どもたちのチームはある事業を企画して利益をあげ納税するまでのプロジェクトベースドラーニングを提案してきた。資金は他のチームがやったように地域クラウドファウンディングで募るらしい。
その分野なら自分の業務知識も役立つし、少しは教えてあげられるかもしれない。
子供達の授業に参加した結果、自分も本格的に学び直したくなった。これが落ち着いたら、2年ほど大学に戻って業務知識と先端科学をあわせて新しく論文を書いてみようかと思う。

・・・なんて事になればいいね!

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