増えすぎるお金への解決策ICO敵


CASHが創業から約8ヶ月、運営開始2ヶ月でDMM.comへ70億円の大型イグジットをしたとのニュースがあった。ちょいと見た感じサービスとしてはBOPな人たちへレンディングであるようにみえる。FinTech界隈いまバブってんね。「VALU」のようにお騒がせしたり、bitcoinに代表されるように、ちょいと大型トロールでも徘徊している腐臭はなかなかに強烈になってきた。

 

それもこれも「お金」が変容したせいだ。たぶんQE4の頃が祇園精舎の鐘の声だったのだと思うが、世界のお金はものすげぇ勢いで増えている。

マネタリーベース
en.wikipedia.org/wiki/File:U.S._Monetary_base.png

エターナルフォースブリザード的な響きの何かで世界をヘリコプターマネーが覆って数年経ったが、まだマネーサプライがコントロールできているからとか、いろいろ意見はあるみたい。経済評論家は各論陣にわかれ論証不能なことをあーだこーだ言いあってるのだけは変わらない。でも、なんだかんだ、それを解決するのはエンジニアリングでしょ。

 

お金の形が紙幣に移れたのも輪転機や模造不能にした技術だし、そこから電子通貨が台頭してきたのも技術による環境変化でしかない。格差がと叫び変化を拒絶したり、贈与経済がと構えるのもちがう。技術がお金の変容にどう影響するか、どう機能するかが鍵なのではないだろうか。

 

技術はお金の何を解決するべきなのか

現在のお金の機能的価値はその流通性と保管性にある。

この機能を維持するために、お金の単位が提示する価値が時期や場所で変動しないように気を配る必要があった。デジタル技術の発展普及はそのお金の流動性を極限まであげることに有効で、お金から紙幣というような実態すら奪った。

 

とすれば、次に解決されべき問題は通貨が時期場所で価値を変じてしまう問題に技術がどう解決策を提示するかである。「信用」との兌換品になっているお金、どう不可逆なものにするか。もしくは、この兌換の流動性をあげるか。

 

bitcoinは積算されるしかデフォルトするしか脳のない既存のお金に、上限を設けることで、足し算だけの通貨の世界に割り算を持ち込んだ。CASHは、通貨から固定された物品を通貨に戻す流動性をあげることで、兌換の流動性をあげた。これらはそれぞれに解決策だ。

これらを実現可能にしたのは、かつての手形の裏書きのような仕組みや、質屋のような仕組みが演算力の向上によって、いままでその兌換の手間、相転移のはざまで失われ合理性がなかったものに合理がうまれるようになった。これからも同じように、同じような解決策はうまれてくるだろう。

 

だが、それらがなすことは、信用の変動に通貨が引きずられる影響や兌換時の価値決定の時間的前後を無視できるぐらいの、リスクの平準化だと思う。

・・・。HAHAHA、何言ってんだか、まるで伝わる気がしないね。

通貨も兌換や交換後に後から価値が決定する仕組みができれば、破綻や価値変動ももっと容認される世界になるよねってこと。

 

ポテトチップスを誰かが100円で買いますっていうプロセスを分解すると、誰かが予め採算がとれるように価格決定をして、そこで消費者と販売者が合意して100円という通貨で支払うという流れになる。だから100円の価値が時系列や場所で変わってしまったら困る。ブツブツ交換社会ではポテトチップスをAさんがツケで譲ってもらってそのツケ払いのためにじゃがいもを提供したりする。いちいち細かいやりとりごとに合意したりするのが面倒だから貨幣がうまれた。でも、記録力と演算能力あがれば、最後になにかしらの交換が発生した段で遡って荷重分配することも不可能ではない。

 

 

お金にたいする要望の変化

私の理解を少し話しておくと、現在のお金は信用に担保されたものという認識だ。

お金の信用は支払うべき税の単位によって担保されていると考えている。

中央銀行が発行しているから安心だねとかいう国家の信用という建前はおいておいて、テクニカルにその通貨単位が有効になり流通するのは、その地域の通貨発行権を持った「支配者」が、その通貨単位で税を治めることを国民に要求していることがミソになっているのだと思う。

 

もしも日本での税金は米ドルとか中国元で治めることなどと法を定めれば、日本で流通するお金はあっという間に日本円ではなくなるだろう。日本の場合は土地などの不動産に税を課すことで、派生的に家賃が決まり、家賃分を稼いだりするために、労働が必要になる。

もし、現代でも庸(物納)や役夫による納税が可能であれば、貨幣にも金や銀といった相応価値をもたせねばならなくなるだろう。現代のように信用を再生産して金本位制のくびきから抜けるためには、国家は通貨で税を納めろとすべての物品や生産物を兌換した貨幣価値下におくひつようがあったのだとおもう。

で、企業の活動領域が国の範囲を越えて、EUでみてとれるように国家の枠組みと通貨の枠組みがかならずしも一致しなくてもよくなると、稼ぐ場所と使う場所がかならずしも一致しなくなる。お金の保管性や可搬性からタックスヘイブンを利用しキャピタルフライトさせることができてしまう。

 

現在のお金の問題

信用とお金が可逆的であることだ。

お金を稼ぐ能力があれば信用を得ることができる。

同時に信用が集まればお金を稼げる。

だから、お金を集めることができれば、その信用を再生産することができる。金が金を産む状態。銀行のやっていることがまさにそうなのであるが、規模の経済下においては、大きいほうが相手の信用をまるのみすることができるので、たいていのものは信用連鎖のマッチポンプ下におくことができる。

このようになると、お金は勝手に増えていく。金利があるものは増えることしか能がなく時間経過yにたいして、xのn乗。発散する。デノミで単位を切り下げるか、デフォルトするまで増えるよりない。

 

低資本家にはハイリスクであるものが、資本が十二分にあれば分散できるのでローリスクの取り組みにかわる。ボラティリティの高い低位株や新興国の国債だって、分散したのでローリスク。その不確実性という名のリスクは誰か信用の少ない人におっかぶせて転嫁できる。

そうなってくると、どんなにお金を積んでも手に入れられないものが出てくる。

資源とか水源とか、兵器とか、お金では仕事をしない希少人材とか、まあ、とかとか、値段があるようでない世界。お金では交換できないマーケットと、お金で交換できるコモディなマーケットの複層化、乖離がすすむ。クリエイティビティなんていうのはその典型だろう。

やる気がないサボタージュなのか、ケイパビリティがない無能なのか。資源がない枯渇なのか、合意されないだけの契約なのか。その区別が難しい状態だが、われわれは通貨という単位のうえにのっているので全部が経済換算される。ときには人の生命や将来性でさせ通貨で換算されるようになる。

 

何を解決したいか

PTAとかで50人の父兄をあつめて豚汁をつくってその売上5万円で教材を買いました。みたいなつぶやきを聞いて、それを非経済、非合理だみたいな議論がTwitterであったようだ。

例えば、これが会社の親睦を深めるための交流事業だとすると、人件費を内部の人間として2万でとるのか3万でとるのか、外注だから5万だなとかの予算どりをしてじゃあ160万の予算で、福利厚生でつけるから楽しんでこいよとかやりたいのかい?

 

「楽しみ」とかが現在は兌換不能なものであるから、相変異のときにロストしたエンタルピーとしてみられてしまいがちだ。でも、それはそれで価値である。これは地域力みたいに漠としたものにもあらわれる。非定型物の価値評価は通貨換算しようとしてできないわけでもないけれども、それが価格差として現れるのは、取引が約定してからだ。

町内会のお祭りみたいに、誰かしらの積み立てた社会資本にフリーライドしても、通貨のものさししかもたない人間はそこにはなかなか気が付けない。

兌換期限(満期日)が記載された空手形が個人で振り出されるような社会になる。物々交換が自由にできる時代になる。好きなだけ空手形を切れる。誰かの発行した手形と交換したくなったときに初めて価値評価がなされて、遡って価格が決定される。一回笑わせてもらったら1単位ふるんでも、怒らせたら1単位引いておくんでもなんでも好きな基準で足し引きをしてもらう。facebookのいいでねも、Twitterのファボでもなんでも単位になる。あいつは空手形きりまくってるので、約束の価値がひくいなとか、あいつにはカシがあるとか、義理があるとか、ご恩を送るとか、そういう雑多な情報が、情報化社会の演算能力があがれば、信用単位として通貨として価値をなにがしかの単位で流通させることができるようになる。

当然、不履行率や兌換期限を越える「行き止まり」の単位が多くでてくるので、時間yに対して、xの1/n乗というような、発散しないものになる。寿命で腐る通貨。だれかの頭越しに信用をホップしないので、ただの業突く張りが信用の浸透圧をいじって、全部おれの成果だからおれがもらっていくなんて奪うことも困難になし、投資にたいする効果効用がわかりやすくなったりもするんじゃないかな。

 

・・・。

頭のなかでは、結構形がみえてはいるのだけど、ちょっと全体的に、何言ってるかわからない感じになったのはまだそれをうまく表現できる言葉や単語をもたないのでご容赦を。

 


労働資本と生産性の議論


経済誌などが血眼になって生産性をあげにゃならねぇと吹いてまわっている。

その通りなのではあるが、よくよく論旨をよんでみるってぇと、例えるなら「落ちてるどんぐりは余さず拾え、1つ残らず!素早くだ!」みたいな感じで、既存の作業の範囲内で高効率は目指すものばかりだ。新しくどんぐりの苗を植えましょうみたいな議論はあまり見かけない。見かけても虚しく響くだけだ。

何を植えるかの検討もせず、探しもせず、実ったものを根こそぎもっていく。
経営活動はいまの世でも狩猟採集型のみしか生存できない。
これなら、取りこぼした実をリスに運んでもらうほうが一か八か生産性はあがるってもんだ。

 

さて、労働資本の価値低下がいよいよもって顕著に顕れだした。

若いやつは現金(資本)をもっていないけれども働けるという労働資本をもっていて、これを使って現金とか家とかの資本を貯めていく。老人になったら労働資本は失うけれども資本をつかって、食っていく。みたいな社会だのだが、若いやつが労働資本をつかったところで、稼げなくなった。日本の若年者層の給与の最頻値はだださがりである。

というのも、労働そのものがあまり価値を産まなくなったからだ。

生活飲料の為に、毎朝水辺まで往復一時間というような時代ではない。社会資本を積み上げ、どんどん少労力化していったわれわれは結構くるところまで来ているのである。

 

だからといって、これを企業のせいにしたり社会制度の仕組みにしたりして、内部留保に課税しろとか、企業に吐き出させろとかはあまりに頓珍漢である。人間の労働力より機械の労働力のほうが安価で安定するようになっていくのは変えられないのだから、環境の変化のほうに適用するべきなのだ。

 

ここ20年ぐらいの日本をみていると、企業の大分類別の限界利益は低下の傾向にあり、労働資本をつかってお金を稼ぐよりお金をつかってお金を稼ぐほうが高効率になってきた。人を使って稼ぐよりも、設備をつかって稼ぐよりも、なによりお金をそのまま使って稼いだほうが高効率なのだ。

国債は通貨の信任のうえに成り立っている。最も低リスクなものである。リスクフリーだ。もし、これらの事業収益の期待値が国債のリターンから得られるものよりすくないのであれば、事業になど投資せずに国債に投資して寝てたほうがよい。

実際はリスクを獲りにいっているにもかかわらず、くたびれ儲けで、結果として利益率がリスクフリーレートすら越えられない事業セクターも多いことは皆様ご承知のうえだと思う。しかも撤退することもできなかったり。

 

シャープが経営危機に陥ったのは世界の亀山工場への投資が契機ともいわれているが、工場は新しい雇用をつくったかもしれないが、その実、その工場を建てるのに貸し付けた銀行や、最後にそれらの資材、知財をお金で買取った会社が得たものの効率性のほうが高い。でも、このような経済活動だけであれば、労働力はいらないし雇用も発生しないのだ。

労働力による価値生産、生産物による価値生産、高付加価値技術による価値生産。この比重が年々かわってきている。雇用を作る社会公器のために、企業を位置づけちゃうと、行き詰まるのは目にみえている。

 

で、こんな状況下で労働分配率のお話しである。

みんなが一生懸命どんぐりを拾っている最中に、どこかで誰かが栗を植えたのか、生えているのを見つけただかした奴がいて、その栗の実を独り占めしているのだという。これは是か非か。

どんぐり林は36(万)人居る村を支えるために一生懸命拾わなきゃいけないのに、あそこの栗林では2(万)人しかいないという。これは是か非か。

 

ハイテッキーな情報化社会では、今まさにどんぐりだの栗だの、米だの麦だのが出始めている。

今起きている、破壊的イノベーションはこういうことである。今までの最適化チューニングの数直線上とは別のレイヤーで起きている環境変化に対して、どんぐりを高効率で拾う技術修熟は役にたつのかという話しだ。

 

日本では社会保障による配分はあっても、現金による再配分はないのでなおさら世代間闘争に発展する。
小人閑居して不善をなすという言葉があるけれども、人の働きに価値を認められる制度や仕組みをつくらないと社会制度が破綻してしまう。労働価値を経済資本以外に、例えば社会資本に振り分けられる仕組みでもいいし、まぁ、なんでもいいけれども、増えるしか脳のない通貨資本の分配率を労働とクロスして心配してもしゃーないんじゃないのと思うけど、まぁ、多分あまり誰とも共有できない気がするのでこんなところで。

 

 

 

参考

MIT デービッド・オーター教授

 

Does Productivity Growth Threaten Employment?
By David Autor and Anna Salomons1 June 19, 2017
www.ecbforum.eu/uploads/originals/2017/speakers/Speech/D_Autor_A_Salomons_Does_productivity_growth_threaten_employment_Final_Draft_20170619.pdf

 

 

「労働分配率の低下とスーパースター企業の興隆」
富はスーパースターに 労働分配率、世界で低下
www.nikkei.com/article/DGXMZO22937520R31C17A0EE8000/

 


生産性の変革で戦争はおきた


あけましておめでとうございます。年初そうそう重テーマ。

昨年はAI元年だったなー、だとするとまた産業革命がおきて生産余剰とかがうまれるのかなー。余剰がかさなると戦争になるのかなーー、とか、漠とおもったんだけど、なんでそういう結末になったのかよくわからないので言語化。

IT革命、人工知能により生産性の革命がいままさにおきようとしている。
かつて生産性に革命がおきたときどうなったのか?

 

おサルの生産性

去年の干支でもあったサルは自然菜食であるので、サルの生産性イコール「自然からどれだけ食料を確保できたか」である。サルの生産性が高まり、群れが充分な食料を確保できると個体数が増える。

群れを構成できる自然限界数(ダンパー数)は50頭程度であるそうなので、これを超える前に群れが分裂する。

サルの時間移動距離は時速数百メートル程度で、縄張り圏内に別の群れがあると生存競争のために生死をかけた争いが生じる。ちなみに人間などにより給餌がおこなわれた場合はボス猿が誕生するそうだ。なわばりが衝突しても餌が充分にあるからかな?

 

人間のダンパー数は報告によると148名であるそうだ。

狩猟採集から農耕になった約1万年前より定住し社会構造を得た。縄張りが重複するのでこちらも「ボスヒト」が発生する。ま、豪族、館を中心とした、氏族により利害調整をおこなわれるような感じ。ボスヒトのボスが誕生し、さらボスヒトのボスのボス(ヒトキング!)が誕生し立憲君主制に至る。中世までキングの役割は収穫地、農地獲得のための領地獲得が戦争の主な目的であった。

 

人間の時間移動距離は街道が整備されている状態で時速4〜5km程度。詳しく調べていないのだが、おそらくこの時間内移動可能距離圏内に郷(村)が形成されてきたはずだ。高低差がない場合30キロが1日の歩行移動可能圏であるので、江戸期など中世における街道における宿場などはこの単位で整備されており、それにともない宿場町が形成される。後の中核都市。

職業軍人が生まれる前まで戦争は農閑期におこなわれた。この当時の戦争はこのままでは食い扶持に困る若く血の気の多い余剰人員の処分先でもあった。勝っても負けても口減らしの合理がある。この理はサルの時代のそれとあまり変わらない。

近世。ヒト類は「空気からパンを創る」科学技術の発明により自ら食糧問題を解決した。短時間あたりの移動可能距離も格段に伸びて食料問題はエネルギー問題になった。農地問題が解決されたので、都市化がすすみ、限界までつきつめた最密構造の居住空間でも生活を送れるようになった。群れの利害は食料から快適さに移行した。
企業は、子会社化や事業部制をとり、擬似的な群れをつくることでダンパー数をなんとかこえないように合従連衡をおこなう。争いは企業間による経済戦争や政治家による利益誘導に代替されるようになった。

だが、武力を伴った戦争もまだ人類の歴史から戦争がなくなったわけではない。
争いの目的はなににシフトしたのであろうか?エネルギー??快適さ??他人を使役できる経済力??

 

ヒトの近世

ここ300年ぐらいの歴史をざくっと考えてみる。

  1. 生産性の大規模改善により人口増、社会に対して多くの余剰人員が生まれる。
  2. 余剰人員が新たな技術を開発したり科学を探求したりして産業を興す。
  3. 産業構造の変革により継代事業は立ち行かなくなり、新興が台頭し旧家の多くは没落する。
  4. 社会保障としての公共事業や公共事業的性質の兵用がおこなわれる。
  5. 新天地に移民政策、棄民政策がなされる。
  6. 戦争が大衆から望まれるようになり大規模戦争。文化衝突。

 

1700年代 農業革命(輪栽式農業/新大陸からのじゃがいも流入)で農作物の生産性の大幅改善。
1800年前後 産業革命で自動紡績機、蒸気機関の発明。
1810年 缶詰の発明
1811-17年 ラッダイト運動
1857年 生産余剰で穀物価格が急落、世界恐慌
1914年 第一次世界大戦

 

ヨーロッパの超長期人口推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html

 

2〜300年前は世界的な天候不順や噴火による飢饉(1839天保の大飢饉 1845ジャガイモ飢饉)があったので、戦争以外に人口増を抑制する因子が多くあった。新大陸アメリカ(1776年ごろ〜)やニュージーランド(1830年ごろ〜)、オーストラリア(1770年ごろ〜)への移民も多く出たので生産余剰や余剰人員を新天地の開拓に転用できた。もっとも新天地では恐ろしく多くの命が失われたが・・・。また、黒人奴隷の輸入により経済で他人を使役することもできた。

 

 

日本についてみてみる。

人口の超長期推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

 

おもしろいのは農業生産性が大幅に向上し、これだけ人口が増えた日本において、江戸末期(5000万石=150Kg×5000万=750万トン)と現在のお米の生産量(798万トン)がほとんど変化がないことだ。一石は一人の人間(一日3合)が1年食べるのに必要な量だという。お米のみが基準になった場合、750万人が日本の適正人口だが、ま、食料は米だけではないので江戸末期には3,000万人が居た。
江戸末期は男性の平均身長は155cmと栄養状態はあまり芳しくなかったが、今は栄養状態を改善したうえに12,000万人分の口を糊することができている。これは、畜産業や水産業の進歩、そして海外からの食料輸入ができるようになったからだ。

 

1839 天保の大飢饉(長期の天候不順、東北の冷害) → さつま芋、じゃがいも、かぼちゃなど
1849 伊豆韮山反射炉、1850 佐賀藩鍋島築地反射炉
1858 日本開国(日米修好通商条約)→ 金銀貨為替による財の流出、紡績などの技術の本格流入
1868 明治維新 → 蒸気機関、鉄道、人口爆発
1870 ガソリン自動車の発明
1876 電話の発明
1878 電灯の発明
1903 航空機の初飛行
1906 アンモニア合成の成功(人工肥料)
1908 ブラジル正式移民開始
1914 第一次世界大戦
1931 満蒙開拓移民開始
1939 第二次世界大戦
1939 核分裂実証実験
1945 原子爆弾投下

技術革新による遠洋への進出、長期保存可能な食品加工技術、鉄道の敷設により内陸部の食糧事情も大幅に改善。内陸部では余剰生産人口を絹産業などのの産業に向けることができるようになった。
さらにそこからも余る余剰人員は満州や、中南米への棄民政策とまで揶揄された移民政策で、解決しようとした。家長制度下で相続できなかった次男、三男などが新天地を求めて旅立った。また工業化により、集団就職など農業以外の仕事でも食っていくことができるようになった。

第一次世界大戦まではそれは功を奏し、日本でも人口は爆発的に増えた。人々に豊かさを享受し。そして戻れなくなった。で、次の戦争が望まれた。第二次世界大戦はエネルギー問題に端を発するものである。

人が人を殺せるようになるまで誕生から最低でも15年かかるが、技術がヒト殺しの兵器になるまでは数年。論理から実証に10年。民生化に30年といったところかな。戦争は生存競争であるため科学技術を大幅に押し上げてきた。技術が押し上げられたから戦争がおきたのか、戦争がおきたから技術がおしあげられたのかはわからん。

んー。なにが言いたいかわからなくなった。ま、少なくとも人類は第二次世界大戦により、大量生産が可能な工業化と核エネルギーを手にいれることができた。戦争で磨かれたレーダ技術は漁業に転用され、戦後の高度成長期の胃袋を支えた。

 

ヒトは余るのか

多くの先進国において人口の抑制政策はうまくいっている。

少子化対策がおこなわれた結果ではなく、少子化対策を行った結果が現在の少子化なのだと思う。

我が国の総人口の推移(出生中位(死亡中位)推計)

www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webhonpen/html/b1_s1-1-2.html

 

内閣府のデータ。母体数の減少をみないまま出生率をコホート無視した人口に掛けているので、低位の出生率でもちょっとシナリオがちょっと甘すぎるんじゃないかとおもうんだけど、今回はちょっとおいておく。そのうち計算してみたいな。

日本の場合は人口オーナスがついて、これからかなり激しく生産年齢人口を減らす。老齢化は深刻ではあるが、だが、同時に希望でもあって、もし革命的な技術革新がこれからあったとしても生産余剰力は生まれないだろう。

むしろ、豊かな暮らしを維持するために都合のいい労働力がほしいぞとばかりに移民をさせろとか言っているぐらいだ。しかし、これは技術革新で解決できる余地がある。足りないのがわかっているものは手がうてるが、余りそうなものはなんともできないのだ。

 

realtime.wsj.com/japan/2011/11/15/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B%E3%82%92%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A7%E7%A2%BA%E8%AA%8D/

 

natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/
世界の人口は約73億人で、2050年までにアジア、アフリカで主に増え97億人にまで増加する見込みだ。

最近、百年ぶりに新たなアンモニア合成方法が発見された。材料科学や遺伝子改良技術は、不毛地帯を農地に変えるだろう。温暖化が悲観視されているが、植物には朗報だ。人類はあとちょっとくいっぱぐれずに生きれるかもしれない。

だが、人はパンのみに生きるにあらず。

小人閑居して不善を為すというが、ただいたずらに人を貯めれば大きな戦争もおきよう。
無用人間の絶望感は戦争に向かうのだ。日本ではない、いくつかの経済大国ではその気配がある。

 

わかっててやってそうだから、質が悪いよね。

人工知能のまえに等しく無用途人間に争わなくていいだけの些細な用途を。

 

参考

徒歩旅行
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E6%AD%A9%E6%97%85%E8%A1%8C

 

石 (単位)
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)

 

2100年の世界人口は112億人、国連予測
natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/