くそドキュメント管理と公文書


森友学園の決済文書の問題がひどすぎる。なんてちょろ松な。

 

 

たのむから、やってくれ

  • 文書管理は紙と印鑑をやめて電磁的記録法に移行して
  • 縦割りで文書管理しないで、文書管理だけの組織を内閣官房とかにおきなよ
  • それらを管理監督する行政監察官をおいて指導しなよ
  • 行革推進本部は神エクセルだけでなく職務能力のほうでオフィシャル・ディベロップメントもしないと
  • せめて[変更履歴の記録]ボタンをポチッって記録するようにして
  • 印刷物には出力日や文書管理番号を印刷しよう

 

やれたらいいな

  • 決済印(決済レベル)ごとに異なるレポジトリーサーバーにプッシュされるようにする
  • 公開文章とかはgithubとかにもぷっしゅ&公知
  • 正副あわせて全国3ヵ所ぐらいにミラーリング
  • microsoft wordとかが印刷するときに自身のMD5とかのフィンガープリントを表示させらたら楽なんだけどね=md5(self)みたいなの。

 

まだIT土方だった若かりし頃、くそが腐って手も付けられなくなったような現場に投下されたことがある。というか、最初からきっちりやれてればトラブらないので、手を引っ張られるのはどうしても、どうにもならくなってから呼ばれるパターン。大抵のトラブってる現場っていうのは、巨神兵を率いて薙ぎ払ってから作り直したほうが早いのだけれども、なかにはどうしてもクソの上に、クソを建てることを強いられる現場もある。

 

・・・。
言葉がすさんでよくないね。

 

で、そういう軟弱地盤の上に何かを積み上げなきゃいけないとき、必要なのはまずは論拠となる文章ドキュメントなどの固定化である。

そう!システムをつくるのなんて湖の上を歩くことぐらい簡単なことさ、それが凍っていさえすればね!!
ってことで、たいていの駄目な原因は言ってることがコロコロ変わる人がハンドリングしてたりすることによるんだけど、まず、こういう奴の心臓に杭を刺してぴくりとも動かないようにしなければいけないわけだ。

 

そこで、思い出すのが、超昔、父親の本棚でみつけた品質管理工学だかの本。
「古いドキュメントを持っている奴がいないように古いドキュメントは回収しなさい」というような仕様の周知徹底と再確認が書いてあった。そだねー。そかもねー。

 

まあ、回収するのは手間なので、バージョンを表紙に印刷するとかそういう事をしていたが、横着な人が雑じってたりすると古い仕様書を印刷してそのまま持つようなのも居て、そのうちヘッダー全部にdate()とかnow()とかを矯正出力させるようにした。

こうすることで、担当プログラマー間で齟齬が生まれたりして結合のときインターフェイスがずれてたりした場合、責任の所在がはっきりさせられるので楔を打ち込むことができる。こういうのはフールプルーフじゃないとならない。

 

 

昨今、国会で話題になっている森友学園の決済文書の取扱をみてると頭を抱える。
まるで20年以上前のVisual sorce safeもsubversionも、ましてやgitもなんてない時代というか、4000年前のシュメール人の円筒印章の時代だって、もうちょっとましな文書管理してたぞと、泣きたくなる。

 

報道によると、国会議員に開示され公文書として記録管理されているものとは異なる別のバージョンの公文書があるそうだ。一部報道機関側が確認し、さらに一部のひとが「私の持っている公文書は3パターンあるぞ!」とかいっているのが現状である。ネッシー状態で、ネッシーの写真を持っているひとがいて責め立てている。なんだそれ。ほんと、なんだそれ。

 

 

決済印が押されている文書が少なくとも一通以上はあって、それ意外のバージョンが存在しないことを証明しろと言っているわけだけれども、通常であれば一笑に伏すぐらいのこれをすぐ証明できないのであれば管理されてない状態といっていいと思う。役職ごとに押される印鑑のなんとも意味のないことよ。

有印公文書であるのであろうから、決済されたのちに改竄されたのが真実だとすれば、すくなくともいくつかの明確な犯罪行為がなされているし、それらの報道などが虚偽で国会が空転しているのならば、さらに深刻な事態だ。ことさらに深刻なのは、改竄がなかったとも、差し替えられてはいないとも証明する手段がないということだ。

 

内容の違う遺言状が3通でてきたぞ状態。公証人とか弁護士とかをいれたり、複数枚にまたがるものには割り印をしたりして、最終のものがどれでという、正当性を保障する。行政文書の場合は、公文書等の管理に関する法律で管理されているはずである。電磁的記録なんちゃらについても法律はあったように思う。

が、これが機能していないということだ。

おまえらまだ紙で文書管理しているのかとか、いいたいことはいっぱいあるけれども、いまとりあげられているのは政治だけの問題じゃない。内閣総辞職だとかそういうことじゃなく、行政府への不振につながる。登記簿謄本とか、戸籍とか、文章あるけれども、書き換えされてもわかんねぇぜーわじゃはーw ってレベルで、本当に質の異なる問題だ。

 

 

まあ、くそしょーもない結末な気がするけど、あまりに前時代的な言った言わないの世界でツチノコを追うようなことを真剣にやっているので、もう、ほんと、どうにかしたほうがいい。

 

参考

行政文書の管理に関するガイドライン
www8.cao.go.jp/chosei/koubun/hourei/kanri-gl.pdf

 

安倍首相vs朝日、「書き換え疑惑」で最終決戦
財務省決裁文書は1強政権の時限爆弾か?
toyokeizai.net/articles/-/211662

 

参議院議員森ゆうこさんのツイート: “明日、森友決済文書のコピー出されてもなあ コピーは私が持っているだけでも、3種類あるんだけど。 どれを出すんだろう?”

 

朝日新聞「森友新疑惑」事実なら財務省解体、誤りなら朝日が解体危機か(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
gendai.ismedia.jp/articles/-/54700


りんごと働き方改革、裁量労働制について


昨秋スーパーでちいさめのりんごを見かけた。JAZZというニュージーランド産の品種であった。英国人がこの小さいりんごの事をAppleではなくCOX(コックス)と呼んでいたのを思い出す。XとCKの発音を間違えると猥語になるので日本人発音では注意が必要だ。

 

COXとはなんであったのかと今になって調べてみると品種名のことらしい。ふじとか王林みたいなものだろう。品種名が有名になりすぎてそれそものが呼び名になるパターン。ラーメンじゃない!二郎だ!!とでもいえばよいのだろうか。

 

なんでも、りんごというのはカスピ海沿コーカサス地方が原産地で、その「コーカサス地方の(Caucasus’s)」から由来してCOXと命名されたそうな。コーカサス地方は白人種(コーカソイド)の分岐地でもある。アダムとイブ、林檎には、なにやら深い意味があるような気がするけれど、さすがにそこまでやると話しがとびまくりなので今回はやめておく。

 

はてさて、日本で林檎というと青森県が産地としても名高いが、いったいなぜ遠くコーカサス地方原産の果物なぞが青森県が名産地になったかご存知のかたはいるだろうか?

 

1884年ごろに旧津軽藩士族11名が本格栽培を始めたからだそうだ。やがて士族の世に終わりが来ると予見した当時の先見の明をもつリーダーが藩士たちに仕事として本格栽培を開始させたのだとどこかで聞きかじった。それが成功しついには林檎といえば青森県の名産と呼ばれるまでになったのだ。

 

自分がおもうに、これこそが「働き方改革」だと思う。

世の要不要は移ろいやすい。外部環境に応じて働き方を変えるのはリーダーなりの主な職責であるように思う。

 

昨今、国会では裁量労働制なるものが審議されているそうで話題になっている。裁量を奪って誰かの監督下で労務に従事させることが労働という日本語だと認識していたので、無料賃金みたいかんじで、もうなんていうかちんぷんかんぷん。KISS。シンプルにしておきなよ愚か者って感じ。

 

タスクを切り出したり分解できる能力を持つ前に、制度として「裁量労働制」なんかやっても、誰も幸せになれないよね。機能しない。売上10億あげろ。ただし手段は問わない(裁量はおまえだ)って転嫁がなされるだけな感じ。ミッションもヴィジョンもストラテジーもない根性論まだ好きなの?

 

労働市場が十分に流動性していれば、無茶を言うだけの企業なぞ自然淘汰がすすんでいい感じなのだけど、日本はほら、長期住宅ローンとか保険や銀行審査とかで職業選択の自由の自由こそがほぼ有名無実化しているじゃない?現実的に考えると厳しいよね。

 

裁量労働制が10年ぐらい前に導入されたソフトウエアエンジニア界隈などでは、誰かが20日かかって終わらせる仕事を1時間でできる一騎当千のスーパープログラマーがいたとしても、そもそも成果物で価値評価をできる仕組みなどなく、結局はその制作に必要だった時間、人月評価でしか値踏みできなかったのでエライことになった。残業し何連泊もして結果をだせない人のほうが売上あがるみたいな。しかたないので、出来るエンジニアに新人いっぱいつけて抱き合わせ販売するみたいな。

 

「定額働かせ放題」などと口悪くいうものもあるようだけど、ああ、この言い方は、事の本質を捉えていないように思う。

かつて士族の世が終わったように、今、終わろうとしているものは労働集約的な仕事だ。やがてくる未来、もしくはもうきている現在は何時間働いたところで、な~んの価値にもならないことが顕在化する価値評価社会である。働くという意味と、稼ぐという意味が分離しつつある。

何時間働いたところで金にならない人は金にならないし、稼ぐやつは労働時間とは関係なく稼ぐようになる。

 

労働がそのまま生産性に結びついた農奴の時代や、モジュール化された規格工業社会のなかでは、決められた手順でマニュアル通りに働いていれば、最終的な生産性や品質にほとんど差がでない。人間をモジュール、交換可能な歯車として運営し、組織を大規模化することで経済的メリットを得てきた。しかし、工業化が十分に進み、高度情報化がおこると、ある点から人間より機械のほうが十分に柔軟で安くなる、そんな分岐点がある。

ソフトウエア開発の現場では、平均的な100人を合計した生産性が、誰かひとりの生産性に及ばないことなど日常茶飯である。昨今、花形のコンテンツ産業で考えても労働者としてのイラストレーターを雇い入れて100人雇い入れて経済的価値を持つ労務制作がおこなえるだろうか?作曲家では?小説家では??稼ぎ頭の金融産業では?トレーダーで無秩序に100人雇い入れたりなんかしたら?99人が稼いでもバカタレひとりで吹き飛ぶよね。

 

スキルとリソースは経営資源になるがワークはただの経費。
労働が非採算部門の経費としてしか認識されなくなったのは20年も前だ。だから非採算部門は分社化や国外などへのアウトソースがすすみ、権利などを集約したホールディングス化がすすみ、その結果、ブルーカラーの職が奪われアメリカファーストだのとブロック経済への回帰の試みがうまれだしているのだ。

 

「働き方改革」なるものは「労働時間を減らして、生産性を増やしたい」がための試みなのだと理解している。

 

新たに林檎なる未知のものの栽培に挑むのが「働き方改革」で、その後、品種改良したり植樹に挑むのが「生産性革命」であってほしい。希望。どこかで誰かが植えた林檎の木から実をあまさず毟るのを「生産性革命」、何時間もいでよいか認可制にするのを「働き方改革」じゃああまりにも愚昧。

 

やがて、人口の95%ぐらいの人に働いてもらうよりもいっそのこと寝ててもらってたほうが、トータルとしての合理性があがる世の中がくるとしたら、じゃあ、どうやって既存の「労働者なるもの」をくいっぱぐれさせないようにできるだろうか?どんな仕事をつくれる?労働をどうやって再定義するのって議論をしたほうが有益じゃない?

 

裁量労働性がいきつくところは1to1の契約社会ではないだろうか。タスクを明確化させ、フリーランスのように達成する職務を明確にしたうえで取引するか、もしくは仕事ごとに製作委員会のような社会組織をくむのか、それとも一定の社会的地位や保護と引き換えに、職務制作や職務発明をするのかはわからんが、両極はこの2方向だろう。機能すべきは選択の余地と、発注者や請負人の公開ログ、レジュメかな。

 

新種の昆虫を発見することが裁量自由な仕事として任せられた場合、それは誰にでもできる仕事ではないし、誰にでも成果があげられる仕事ではないだろう。

このような仕事において成果で報酬を結ぶのか、取り掛かりで最低限の報酬を求めるのかなどは、契約者間合意による。しかし、このような卑近な契約関係にみても、個人の信用は資本の信用に及ばないので、お金を持っているほうが信用力が高く、力関係に差がでて、契約は不平等なものとなりがちだ。まあ、請負側になんらかの保護措置が必要になるのかもね。

 

まあ、銀行とかがギルドみたいな中間組織が依頼費をデポジットして、指名依頼かオープン依頼かにしたらいいんじゃないの。あとは働きの信任と貨幣はわけちゃえばいいじゃないとか思うけれど、これもまた長くなるので今日はおしまい。

 

・・・あれ、なんの話しだっけ。

 

#  参考

青森県庁内のりんご
www.pref.aomori.lg.jp/sangyo/agri/ringo-rekisi02.html

 

青森りんごの歴史年表
www.aomori-ringo.or.jp/presentation/sec03/para01/

 

裁量労働制とはこういう制度(佐々木亮) – 個人 – Yahoo!ニュース
news.yahoo.co.jp/byline/sasakiryo/20180222-00081906/

 

大胆提言!日本企業は今の半分に減るべきだ | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
toyokeizai.net/articles/-/209674


生産性の変革で戦争はおきた


あけましておめでとうございます。年初そうそう重テーマ。

昨年はAI元年だったなー、だとするとまた産業革命がおきて生産余剰とかがうまれるのかなー。余剰がかさなると戦争になるのかなーー、とか、漠とおもったんだけど、なんでそういう結末になったのかよくわからないので言語化。

IT革命、人工知能により生産性の革命がいままさにおきようとしている。
かつて生産性に革命がおきたときどうなったのか?

 

おサルの生産性

去年の干支でもあったサルは自然菜食であるので、サルの生産性イコール「自然からどれだけ食料を確保できたか」である。サルの生産性が高まり、群れが充分な食料を確保できると個体数が増える。

群れを構成できる自然限界数(ダンパー数)は50頭程度であるそうなので、これを超える前に群れが分裂する。

サルの時間移動距離は時速数百メートル程度で、縄張り圏内に別の群れがあると生存競争のために生死をかけた争いが生じる。ちなみに人間などにより給餌がおこなわれた場合はボス猿が誕生するそうだ。なわばりが衝突しても餌が充分にあるからかな?

 

人間のダンパー数は報告によると148名であるそうだ。

狩猟採集から農耕になった約1万年前より定住し社会構造を得た。縄張りが重複するのでこちらも「ボスヒト」が発生する。ま、豪族、館を中心とした、氏族により利害調整をおこなわれるような感じ。ボスヒトのボスが誕生し、さらボスヒトのボスのボス(ヒトキング!)が誕生し立憲君主制に至る。中世までキングの役割は収穫地、農地獲得のための領地獲得が戦争の主な目的であった。

 

人間の時間移動距離は街道が整備されている状態で時速4〜5km程度。詳しく調べていないのだが、おそらくこの時間内移動可能距離圏内に郷(村)が形成されてきたはずだ。高低差がない場合30キロが1日の歩行移動可能圏であるので、江戸期など中世における街道における宿場などはこの単位で整備されており、それにともない宿場町が形成される。後の中核都市。

職業軍人が生まれる前まで戦争は農閑期におこなわれた。この当時の戦争はこのままでは食い扶持に困る若く血の気の多い余剰人員の処分先でもあった。勝っても負けても口減らしの合理がある。この理はサルの時代のそれとあまり変わらない。

近世。ヒト類は「空気からパンを創る」科学技術の発明により自ら食糧問題を解決した。短時間あたりの移動可能距離も格段に伸びて食料問題はエネルギー問題になった。農地問題が解決されたので、都市化がすすみ、限界までつきつめた最密構造の居住空間でも生活を送れるようになった。群れの利害は食料から快適さに移行した。
企業は、子会社化や事業部制をとり、擬似的な群れをつくることでダンパー数をなんとかこえないように合従連衡をおこなう。争いは企業間による経済戦争や政治家による利益誘導に代替されるようになった。

だが、武力を伴った戦争もまだ人類の歴史から戦争がなくなったわけではない。
争いの目的はなににシフトしたのであろうか?エネルギー??快適さ??他人を使役できる経済力??

 

ヒトの近世

ここ300年ぐらいの歴史をざくっと考えてみる。

  1. 生産性の大規模改善により人口増、社会に対して多くの余剰人員が生まれる。
  2. 余剰人員が新たな技術を開発したり科学を探求したりして産業を興す。
  3. 産業構造の変革により継代事業は立ち行かなくなり、新興が台頭し旧家の多くは没落する。
  4. 社会保障としての公共事業や公共事業的性質の兵用がおこなわれる。
  5. 新天地に移民政策、棄民政策がなされる。
  6. 戦争が大衆から望まれるようになり大規模戦争。文化衝突。

 

1700年代 農業革命(輪栽式農業/新大陸からのじゃがいも流入)で農作物の生産性の大幅改善。
1800年前後 産業革命で自動紡績機、蒸気機関の発明。
1810年 缶詰の発明
1811-17年 ラッダイト運動
1857年 生産余剰で穀物価格が急落、世界恐慌
1914年 第一次世界大戦

 

ヨーロッパの超長期人口推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9010.html

 

2〜300年前は世界的な天候不順や噴火による飢饉(1839天保の大飢饉 1845ジャガイモ飢饉)があったので、戦争以外に人口増を抑制する因子が多くあった。新大陸アメリカ(1776年ごろ〜)やニュージーランド(1830年ごろ〜)、オーストラリア(1770年ごろ〜)への移民も多く出たので生産余剰や余剰人員を新天地の開拓に転用できた。もっとも新天地では恐ろしく多くの命が失われたが・・・。また、黒人奴隷の輸入により経済で他人を使役することもできた。

 

 

日本についてみてみる。

人口の超長期推移

www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

 

おもしろいのは農業生産性が大幅に向上し、これだけ人口が増えた日本において、江戸末期(5000万石=150Kg×5000万=750万トン)と現在のお米の生産量(798万トン)がほとんど変化がないことだ。一石は一人の人間(一日3合)が1年食べるのに必要な量だという。お米のみが基準になった場合、750万人が日本の適正人口だが、ま、食料は米だけではないので江戸末期には3,000万人が居た。
江戸末期は男性の平均身長は155cmと栄養状態はあまり芳しくなかったが、今は栄養状態を改善したうえに12,000万人分の口を糊することができている。これは、畜産業や水産業の進歩、そして海外からの食料輸入ができるようになったからだ。

 

1839 天保の大飢饉(長期の天候不順、東北の冷害) → さつま芋、じゃがいも、かぼちゃなど
1849 伊豆韮山反射炉、1850 佐賀藩鍋島築地反射炉
1858 日本開国(日米修好通商条約)→ 金銀貨為替による財の流出、紡績などの技術の本格流入
1868 明治維新 → 蒸気機関、鉄道、人口爆発
1870 ガソリン自動車の発明
1876 電話の発明
1878 電灯の発明
1903 航空機の初飛行
1906 アンモニア合成の成功(人工肥料)
1908 ブラジル正式移民開始
1914 第一次世界大戦
1931 満蒙開拓移民開始
1939 第二次世界大戦
1939 核分裂実証実験
1945 原子爆弾投下

技術革新による遠洋への進出、長期保存可能な食品加工技術、鉄道の敷設により内陸部の食糧事情も大幅に改善。内陸部では余剰生産人口を絹産業などのの産業に向けることができるようになった。
さらにそこからも余る余剰人員は満州や、中南米への棄民政策とまで揶揄された移民政策で、解決しようとした。家長制度下で相続できなかった次男、三男などが新天地を求めて旅立った。また工業化により、集団就職など農業以外の仕事でも食っていくことができるようになった。

第一次世界大戦まではそれは功を奏し、日本でも人口は爆発的に増えた。人々に豊かさを享受し。そして戻れなくなった。で、次の戦争が望まれた。第二次世界大戦はエネルギー問題に端を発するものである。

人が人を殺せるようになるまで誕生から最低でも15年かかるが、技術がヒト殺しの兵器になるまでは数年。論理から実証に10年。民生化に30年といったところかな。戦争は生存競争であるため科学技術を大幅に押し上げてきた。技術が押し上げられたから戦争がおきたのか、戦争がおきたから技術がおしあげられたのかはわからん。

んー。なにが言いたいかわからなくなった。ま、少なくとも人類は第二次世界大戦により、大量生産が可能な工業化と核エネルギーを手にいれることができた。戦争で磨かれたレーダ技術は漁業に転用され、戦後の高度成長期の胃袋を支えた。

 

ヒトは余るのか

多くの先進国において人口の抑制政策はうまくいっている。

少子化対策がおこなわれた結果ではなく、少子化対策を行った結果が現在の少子化なのだと思う。

我が国の総人口の推移(出生中位(死亡中位)推計)

www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webhonpen/html/b1_s1-1-2.html

 

内閣府のデータ。母体数の減少をみないまま出生率をコホート無視した人口に掛けているので、低位の出生率でもちょっとシナリオがちょっと甘すぎるんじゃないかとおもうんだけど、今回はちょっとおいておく。そのうち計算してみたいな。

日本の場合は人口オーナスがついて、これからかなり激しく生産年齢人口を減らす。老齢化は深刻ではあるが、だが、同時に希望でもあって、もし革命的な技術革新がこれからあったとしても生産余剰力は生まれないだろう。

むしろ、豊かな暮らしを維持するために都合のいい労働力がほしいぞとばかりに移民をさせろとか言っているぐらいだ。しかし、これは技術革新で解決できる余地がある。足りないのがわかっているものは手がうてるが、余りそうなものはなんともできないのだ。

 

realtime.wsj.com/japan/2011/11/15/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B%E3%82%92%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A7%E7%A2%BA%E8%AA%8D/

 

natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/
世界の人口は約73億人で、2050年までにアジア、アフリカで主に増え97億人にまで増加する見込みだ。

最近、百年ぶりに新たなアンモニア合成方法が発見された。材料科学や遺伝子改良技術は、不毛地帯を農地に変えるだろう。温暖化が悲観視されているが、植物には朗報だ。人類はあとちょっとくいっぱぐれずに生きれるかもしれない。

だが、人はパンのみに生きるにあらず。

小人閑居して不善を為すというが、ただいたずらに人を貯めれば大きな戦争もおきよう。
無用人間の絶望感は戦争に向かうのだ。日本ではない、いくつかの経済大国ではその気配がある。

 

わかっててやってそうだから、質が悪いよね。

人工知能のまえに等しく無用途人間に争わなくていいだけの些細な用途を。

 

参考

徒歩旅行
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E6%AD%A9%E6%97%85%E8%A1%8C

 

石 (単位)
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)

 

2100年の世界人口は112億人、国連予測
natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/080600214/