大晦日で人工知能


人工知能について年暮ひがなうつつ宿題を。

東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」 単行本 – 2014/10/15
松尾 豊 (著), 塩野 誠 (著)

 

松尾さんの動画やらなにやらをよく見たので本も読んでおこうとおもって買ったもの。
間違えてカートに2冊ぶっこんでたのに気が付かずに届いたら2冊入ってて愕然とした。
レイアウトがあれでちと読みにくかったのと、まさかの対談方式の本だった。

 

本の内容については特に書くことはないのだけど、章の間に宿題がでててそれが面白かったので今年のうちに宿題をしておく。

 

ISSUE 1

1.人間は不要になるか?

予測精度が異様に高い人工知能が、人間の役割にとって代わり、自己複製をはじめたとき、人間の存在意義はどこにあるのか?

これに答えるにはヒトは使役動物であろうか?という問についても考えなければいけない。

蒸気機関普及後、使役動物としての牛や馬はその数を大きく減らした。江戸、明治初期の馬数は住宅戸数とほぼ同程度であったが現在は住宅件数と比べるべくもない。

先進国とされる国々において、身分制度や、奴隷制こそ終わりをつげたものの、ヒトの多くは経済動物としてその任を得ている。社会への奉仕。勤労の義務こそが社会構成員としての人間の存在意義であることは日本国憲法にも明記されている。「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」これは、社会を回すために必要な任である。

封建制が終わった現代ではその任は特定誰かのためになされるものではないが、全体への奉仕としてなされる。社会をよくまわすための使役動物としてのヒトだ。年齢割合が歪み、子供や老齢者はどうするという構造問題を解決できていないが、今はそういう運用がなされている。自ら然して利他し、社会に対して義務を果たすのが、己の利益にもつながろうという社会で、そのように機能している。
で、ここで、ひとつ動画をぽいっと。

オランダ LELY(レリー)社のアストロノートA4
www.cornesag.com/product/milking/milking_robot/astronaut_a4/feature.html
乳牛さん達は、自分たちの意思で装置の前に列をつくり搾乳を待つ。餌もくれるし、乳も絞ってくれるから。

一定時間を経過していない牛は素通りさせられる。システムで管理された高度な装置である。牛は人間にとって家畜としての価値がある。肥育牛も、乳牛も。

もし、ヒトの提供できる価値が人工知能に代替されたあと、ヒトが社会に提供することができる価値とはなんであろうか。まさかヒトが肉や乳を人工知能に捧げることを望まれるわけではあるまい。では、馬のように荷を運ぶことだろうか?

ヒトがヒトに必要とされるのは面倒を見てもらうため。互いに助け合うため。

おそらくは、この原初的な欲求が解決されれば、現在のような数は必要なくなるので、使役動物としての馬のような推移をたどることだろう。ヒトが多くの子供を必要としたのは乳幼児死亡率が極端に高かったからであり、老後の面倒を見てもらうためだった。ヒトはヒトによって必要とされているが、ヒトがヒト以外に必要とされる数はとても少なくなるものと考えられる。ま、不要の用。

 

2.犯罪予備軍を事前に逮捕できるか?

ある人間が、将来的に犯罪を起こす可能性が高いかどうかが明らかになったとき、事前に逮捕することは許されるか?

マイノリティ・リポートか、アニメのPSYCHO-PASS サイコパスかって話。(まだ、どちらも見てない・・・)
オランダだったっけかな?ネットワークで繋がった防犯カメラを地域で配備して歩行の目的地の不確定さによって、不審者検出ができるようになったそうな。トラック強盗が多い地域にそれを配備した結果、パトカーが急行できその地域の犯罪は激減した。で、かわりにその地域の周辺の犯罪発生率が上昇したとかいうオチまで付いたお話。
これはAIというよりは、遺伝子の問題でもあるように思う。反社会性因子と遺伝子の相関が統計的に79%とか出た場合、例えばそれをどうするか?犯罪をおかしてなくても事前に逮捕するのか??クレジットカード破産者が持つ遺伝子に強い相関があった場合貸付限度額をどうするのか?交通事故違反者に多い遺伝子に強い相関があった場合、交通事故保険料がおなじでいいのか?
その相関を偽相関とみるか、ビックデータのパラドクスだと押しやるかは難しい問題である。

個人的には、犯罪を犯すより前に、心身の拘束などはするべきではないと思うし、罰は罪とセットであるべきだと思う。だけれども、追跡タグをつけたりするのは罰ではないと思うので、そういうのはいいんじゃないかな。

そのヒトだけ付けるのは不公平であるので、みんなでつけるっていうのもありだとは思う。
あと、犯罪についてだけれど、もし、罪を犯しやすい気質があったとしても、その罪という概念が時間や環境で変化することはある。戦争などの時に人を殺したり、粗暴なことに気後れしちゃう気質の人ばかりでは組織を成さない。

完全に悪と断定できる犯罪でさえも、社会を強くしていくためには一定確率で必要かもしれない。

近代国家以前は、直系卑属を根絶やしにするために一族郎党打ち首獄門なんていうのもあったようだけど、流民がでていない状態ならそのような事や、名誉殺人のようなことをしてはいけないとおもうな。

 

3.人工知能の小説家は誕生するか?

現在、SF小説の要素の組み合わせ、短編小説を書く実験がすすんでいる。人間の独壇場であった「想像力」はどこに活路を見出していくだろう?

これはするよ。星新一プロジェクトみたいな実際の取り組みもそうだけど、作成しうると思うな。

そう遠くない時間に、人間が書いたものか、プログラムが書いたものかを人間が見分けることはできなくなるとおもう(チューリングテスト的な意味でも)。

ここらへん少し気になっていたので物語論、ナラトロジーとかの本を買ってみたんだけど、人間が類型化したナラトロジーの分野がまだまだ未発達なのね。面白くなかった。
逆にAIからの章解析によって、プロット解析ができるようになれば、もっと面白い作品がいっぱいつくれるようになると思うんだよね。もし作れないというのなら、創る方向に力をいれて証明する側にまわってもいいとおもうぐらいちょっと魅力的な分野だとおもうな。

 

ISSUE 2

 

1.投資家は不要になるか?

身体的な制限がないコンピューターが、株式市場の「穴」を見つけ、そこを突き続けはじめたとき、人間の投資家は太刀打ちできるか?

これはできないよ。もうできない。

市場というものが、ただの流動性確保の場になって久しいけれど、カブロボとかが登場したときは長期に企業価値算定をきちんとしないとダメだよ!っていう義憤に燃えて立ち向かったのももう十年も前のことだ。10年前だったら、あえて穴をムシした正統派も太刀打ちできる要素があった。いまはもうシステムトレードでもそんな余地はない。穴をつくアルゴリズムを一杯食わせるぐらいはできるけれども、それはもうなにしているのかわからないよね。

システムトレーダーをつくる人間をつかまえて、太刀打ちできていると表現するならばそれは太刀打ちできる。

あとは、すべて焼き払い単独で相場を動かせるほどの資本力があればできる。

 

2.人工知能を信じられるか?

人工知能によるレコメンデーションは、直感的な因果関係を重視する人間にとって腑に落ちないものになることが予想される。それでもなお、勇気をもって人工知能の判断に従えるか?

人間よりい信用できるっていう人もいるだろうし、そのAIの啓示を伝えてあげる占い師おばば的なエバンジェリスト的な人間を一枚かませばいいだけじゃないかな。

データもわかるし、論理的にも納得できるか、情動的にお前に言われるから賛同できないってことは、人間社会でもよくある話しだし。伝え方、伝える経路なんていくらでも変えられると思う。

 

3.「国」はなくなるか?

物理的な制約がなくなり、個々の行動履歴がすべて国境に関係なく記録され活用され、どこからでもサービスを受けられるとき、国という概念自体もなくなるか?

むしろ増えるんじゃないかな。国というシステムを大きく重厚長大にしたのは、軍事的な要素と、運用のための度量衡を揃える効率化のため。日本のような島国であっても、地域言葉は異なっているし、幕藩体制のころは通貨発行権や、租税の体型も地域ごとに異なっていた。兌換や流通、教育、軍事、言葉などの効率性という点をAIなどが解決してくれれば、国という運用単位はもしかしたら市区町村単位で連邦的に運用されるようになるかもしれない。
どんなに社会が効率化しても、ご近所レベルの地域社会はなくならない前提だが。

でも、経済でみてもモジュール化がすすんでいるので、小さくなる傾向はあるようにおもうな。

 

ISSUE 3

1.意識はコピーできるか?

脳が工学的に再現可能になり、自己の保存が実現すると、そこに本当にヒトの「意識」は存在するか?

20年ホルマリン漬けにしてた脳みそに、ニコチンなどをぶっこんだら脳波が観測できたっちゅうお話しがあった。

いつ脳は死ぬのか?【When Is The Brain Dead-ホルマリン漬けの脳が20年の時を経てなお活性を示す】
togetter.com/li/1062912

脳みその構造を再現でき(これは、たぶんできない)るのであれば、意識はその脳回路を伝わる電気信号とそこから惹起された化学物質により構成されるものであるので、意識のシミュレーションはできるようになる。

 

2.コンピュータ脳における「記憶」とは?

脳が完全にコピーされ移植されたとき、特徴量を作る方法自体が異なってくる。そのとき、世界はどのように把握され、記憶はどのように変化するだろうか?

人間は脳みそのみによって考えるのみにあらず、肌による皮膚感覚や、腸は第二の脳という程度には、体内、体外の環境に思考を強く影響される。これら付属の情報がなくなり、その他情報のインプットの経路が異なるようになった場合、記憶の重要度のランクは現生体のそれとはまったく異なる。
景観の美しさや、静寂さなどよりも、周りの埃の量や、静電気、地場の変化が気になるようになり、電圧の変化に美しさを見出すようになるかもしれない。
結論に至るまでに神経の興奮を感情と呼ぶならば、電圧の異常などで各所に発生するエラーが最終的に検算されて、正確な答えにいたるまでの、エラーハンドリングを感情と呼べばよい。そんで、そのログを記憶とでも読んだらどうだろう。

 

3.人間の仕事はなくなるか?

ほとんどの仕事が機械に代替されたとき、人間は何をして日々を過ごしていけばよいのだろうか?

ん?

紅茶でも飲んでひがな一日すごしてればいいんじゃない?

ただ、修行僧のような生活がすべての人に耐えられるとも思えないけど。
思索にふけって楽しめるのはスキゾイド人口の10%ぐらいか。

 

 

ISSUE 4

1.犯罪の「見逃し」が必要になるか?

顔認識技術が発達し、町中に監視カメラが設置されると、どんな軽微な犯罪も白日の下にさらされる。そのとき、すべての犯罪を罰する必要はあるか?

途上国とかにいくと、くじ引きみたいに交通違反取り締まってるよね。交通違反がたまりすぎると表の道が走れなくなるんだ。罪には罰だけれども、罰も軽微すぎると意味がないからポイント・マイレージ性にでもしたらいいんだよ。

カルマポイント貯まりすぎちゃったから今月ボランティア10時間だー。みたいにね。
見逃す必要はないとおもうよ。貯めておけばいい。

 

2.自動運転は本当にできるか?

機械に運転を任せられるようになると、社会全体がより最適化される。一方、事故が起きた場合に誰が責任をとればよいのだろう?

技術的にはできるとおもうけど、人間社会があと1~2世代は許さなそう。人間側の価値観変化の問題なので、それをマテばいいいんじゃないかな。変化しないなら導入されないだけ。

 

3.命の価値は、誰が決断するのか?

すべての社会的判断の結果がスコアリング可能になったとき、「誰が不利益を被るか」を決める判断が必要になるが、その重責を負うのは誰だろう?

最初の方の論に戻るけれども、不用の用というのがあって、なにかの価値というのはそのスケールでの価値であって、スケールを変えれば並び順は変わる。オーダーバイの仕方を1軸しかもたなかったり、集計の粒度を変更できなかったり、ascやdescもできないようなスコアリングは無価値になるべきだ。
責任を追うのは代議された人か、またはその代表でいいんじゃね。

 

ISSUE 5

### 1.学校は不要になるか?

個人のレベルと環境に合わせたウェブ動画での学習が可能になったとき、学校や学年というものは不要になるか?

むしろ必要になるとおもう。ただ、既存の座学という用途以外の意味で。そのエリアのWAN基地とか集会所とか、運動場としての価値とかとしてね。

 

2.情報の飢餓体験は必要か?

いつでもどんな情報でも手に入る状況になると、思考の習熟が望めない。子どもの教育のために、あえて情報を制限する必要はあるか?

イスラム教のラマダーン、断食には学ぶべきことは多くある。不便を学ぶ機会は重要だとおもうし、ストレステストや、BCP上も、正常系から外れたテストと備えはしておくべきだとおもう。実際体験してみないと、気がつけないことは多いし、気がついたことに対して、備えができるのは正常下でのみ。

日本は災害大国なので、情報からの断絶時にどうしたらよいかについても体験しておくことは有用であると思う。ま、デジタルデトックスたまにはしないとね。

 

3.教育で身につけるべき能力とは?

何かに気づく、法則を見つけるという役割はコンピュータに任せる場合、人間が教育で身につけるべき能力とは何か?

ん~。

  • 怪我しない、死なないようにすること(フィジカル、クリニカル)
  • 苦労しない、道具をつかえるようにすること(テクニカル、プラクティカル)
  • 楽しめる、悲しみをわかちあえるようにすること(エモーショナル)

ここら、あたりじゃねかな。

ではみなさまよいお年を!!

 

参考

『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』松尾豊東京大学准教授セッション

【5金スペシャルPART1】松尾豊氏:人工知能が閻魔大王になる日

【5金スペシャルPART2】松尾豊氏:人工知能が閻魔大王になる日

文科省の「AI研究」新拠点 トップに東大41歳教授
(1/2ページ)2016/4/9 7:54 杉山将・東京大学教授
「AIP(Advanced Integrated Intelligence Platform Project)センター」
www.nikkei.com/article/DGXMZO99433730Y6A400C1000000/
犯罪に走る人には、”悪の遺伝子”がある? 犯罪者と非犯罪者を分ける決定的要素
toyokeizai.net/articles/-/63200

When Is the Brain Dead? Living-Like Electrophysiological Responses and Photon Emissions from Applications of Neurotransmitters in Fixed Post-Mortem Human Brains
www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5131983/


ぼっち主義はシゾイドパーソナリティ障害


シゾイドパーソナリティ障害(スキゾイドとも言う)というものがある。

  • ぼっちが好き
  • 他者と親密な関係をもちたいとは思わないか、あるいはそれを楽しく感じない
  • 親しい友人、信頼できる友人がいない
  • 性体験への興味がもしあったとしても少ししかない
  • 喜びを感じられるような活動がもしあったとしても少ししかない
  • 賞賛にも批判に対しても無関心にみえる
  • よそよそしさ、超然とした態度あるいは平板な感情

4つ以上当てはまったら君も立派なシゾイドパーソナリティ障害だっ!
障害とあるが一般人口の7.5%と結構な割合に及ぶそうで、男性のほうが女性より2倍多い。遺伝起因。
社会生活を営むにあたり、他人に迷惑をかけるわけでもなく本人も生活する上で困ることが何一つない。そんな障害。

口数少ない職人気質のオヤジさんのイメージだろうか。あれが多分シゾイドだよね。
なんかこれをみて、凄く腑に落ちた。多分俺もスキゾイドだなと思ったわけです。

世の中には理性が負けちゃう性欲異常者がいるように、理性が強すぎるのも後天的な性格形成の問題だと思っていました。男性の発現率が2倍ということは劣勢遺伝かね。7.5%ともなるとかつて見合い結婚とかで結婚してた層とかはまるごとシゾイドなんじゃないかなとも思える。

  1. ぼっちでいることが苦にならず、むしろ性に合っている
  2. 他者への関心や関わりへの欲求が乏しい
  3. 流行やファッション、外見にも関心がない
  4. 自分から話し始めることを避ける
  5. 時に奇異な喩えを使うことがある
  6. 無生物や形而上学的概念に魅了されたり、数学、天文学、哲学的運動に興味をもつ
  7. 他人の賞賛や批判に対して無関心に見える
  8. よく知らない人と親密であるという不確かに我慢が必要

特徴抽出をおこなうとこんな感じだろうか・・・。心当たりありまくる人はいないだろうか。ありまくるんですけど・・・。世の中にはさみしがりやが居る。おしゃべりがいる。多動なやつがいる。枯山水の前に座らせたら3分と我慢できない人もいるのは想像もできる。でも黙って座らせたら枯山水楽しんじゃったりしてずっと座ってるようなやつもそれはそれで障害だということか。そもそも遺伝レベルで個体ごとにそれほどまでに興味関心にずれがあるとは思っていなかったな。ふむ。

学校で一緒に昼食をとる友達がおらず、便所の個室でご飯を食べるのを便所飯というそうな。便所飯のひとは確かに孤独であるが、他者からの目が気になっているという意味ではシゾイドではないのだろう。別に他人からどう思われようがあんま気にならなず、景色がいいところとか、そういう自己の価値観で気に入ったところで飯を食いだすんじゃないかと思う。屋上とか日当たりのいい土手とかね。一人でそういうところに行ってしまうやついなかった?きっとそういう奴。

異性にモテたいのにモテないのでこじらせてしまったり、友達が欲しいのにできずに鬱憤がたまってしまったり、自己の評価が不当だと感じて鬱積してなにかの複雑性とからまったりなんてことがシゾイドにはない。欲求が薄いので犯罪には走らないが、同時に名誉をあたえても金をあたえてもそれをモチベーションに釣ることができないので組織としてはちょっと度し難い。仕事のできるできないの個人の能力とは別なのもちょっと分かり難くい理由なのかも。
そういえば西郷隆盛は「命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。」と評されたそうだ。まあ使うほうからすると困るよね。

いやぁ、こういうのは後天的な体験から形成された価値観だと思ってたんですよね。
変な喩えとかを使うのも、暗黙的に知っている知識が違うので、その暗黙知のすり合わせができてないから伝わらないとだけ思ってたんだけど、そもそも暗黙知がずれるということが既に興味が他にむいているということだと。
それぞれの項目を自分の体験とヒモ付て、なんでこういう価値観になったのかというのを結論づけていたのだけど、自分は気質として他人からの評価をそもそも気にしない傾向があるので、ほっておくとどんどん仙人化するから気をつけようと思えるようになっただけでちょっと収穫かもと思いましたとさ。

そんなわけで、今日は誕生日でした!(こういう空気の読まなさがシゾイド

**参考
www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/spd01.html
シゾイドーソナリティ障害は一般人口の7.5%、喜怒哀楽の感情、他者への関心や関わりへの欲求が乏しく周囲からの評価には無頓着、流行やファッションと無縁。無生物や形而上学的概念から数学,天文学,哲学的運動に興味。孤立した生活様式。時に奇異な喩えを使うことがあります。

ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BE%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3

「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」を追求するモラトリアム人間は、心理的性格としてシゾイド(分裂症)的だと言われます。
www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/okono/3.htm

「命もいらず名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬなり」
sasakitsuneo.jp/leader/04.html


まだ働きと成果の見分けがつかない


思索。仕事を草むしりに例えてそれぞれの価値について考えてみる。

草むしり業界→労働者の熟練による成果の差が数倍以内に収まる業界。

草刈り業界→鎌を使って良いよ、電動草刈機を使って良いよなどの道具や設備で差。業務改善効率。

除草剤業界→除草剤ができた~などの、目的を既存の手段とはまったく別の経路で達するイノベーション。

 

##草むしり業界

草を引き抜く労働なんかは代表的な単純労働。労働者の仕事への従事時間による熟練が、仕事(成果)に影響を与える。労働集約度の高い仕事。

その差は「きちんと働いて」いさえすればどんなに習熟度に差があっても成果は2~3倍程度に収まる。
ピロリとアンダーソンの学習曲線によれば習熟度は次の学習曲線に従う。

RT を反応時間、N が練習量
RT=1.40*N^(-0.24)

こんな式で表すことができるそうだ。
指数部分が1以下(約1/4)なのでかなり早い段階で収斂する。反復量は早い段階で差に軽微な影響しか及ぼさなくなる。
草むしりビギナーが草むしりマスターと遜色ない仕事をするまでのトレーニング時間は予測できる。
マイナスかつ分数の指数の計算方法とか忘れちゃったよね。↓のリンクでも見て思い出して。
www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou2/fractional_exponent1j.htm

1.40*N^{-0.24} = 1.40*N^(-1/4) = 1.4/4√N

こうか?

つまり
練習量を1 (1^4)とすると反応時間は1.40
練習量を16 (2^4)とすると反応時間は0.70
練習量を81 (3^4)とすると反応時間は0.47
練習量を256(4^4)とすると反応時間は0.35
練習量を625(5^4)とすると反応時間は0.28

こんな感じになる。練習量1のものと練習量625の差は1.4対0.28なのでわずか5倍。625倍の練習をしているとすればここはわずかという表現をつけて差し障りはないと思う。

 

年齢、性別別の人間の短距離走の早さはほぼ正規分布曲線に従う。
早く走ろうと適切な練習を続ければ、タイムは徐々に早くなっていく。
しかし習熟度が高くなればなるほどタイムは伸び悩む。

ウサイン・ボルトを人類の限界値とする。100mのワールドレコード9.58秒。

  • 走るのが苦手で100mに30秒かかるA君。
  • 結構走るのが早い100mを12秒で走れるB君。

A君とB君の差は28秒
B君とボルトの差は2.5秒

走るという成果(仕事)の差を見るにB君とボルトの差は1割以下、軽微なものである。
ひるがえって、ある程度の練習量を積んだ労働者と卓抜した労働者との成果の差は10%ほどの差もない。労働集約的単純労働。よしんば刺し身にたんぽぽを乗せるような単純労働では、熟練者の給料を2倍にするより2人の新人雇って一ヶ月育てた方が費用対効果は高いことが期待される。

一生懸命真面目に働いたとしても、成果限界がみえる労働集約的な仕事では、時間拘束にしか比例しない。

 

もっとも、このような労働市場は市場占有率が高い企業であるほうが規模の経済により企業としても学習曲線効果を得る(ポーターとかのマーケティング)ので、労働者の労働環境という待遇としてはよくなるかもしれないが。
スケールメリットを考えだすと、ぶれるのでここでは言及に留めるが、どんな複雑な仕事も分割してしまえば単純労働だと言ったのは、ベルトコンベアによる労働を発明したロックフェラーだったような気がする。→訂正8/13 ヘンリー・フォードさんでした。てへぺろ

 

##草刈り業界

すこし踏み込んで、装備とか道具による仕事改善効率を考える。
いばらの鞭による連続攻撃はひのきの棒の何倍であろうか…という喩えは、、、悪手。なんでそんな喩えから入ろうとしたのか>自分…
草刈りにおいて「良く磨がれた金属製の鎌をつかっていいよ」という道具の介入を許すか許さないかは仕事成果に大きな差をあたえる。この差は労働者の熟練による差を大きく上回る可能性がある。

 

土手に生えた草を綺麗にしてくださいという仕事があったとする。

草抜きの達人10人 vs 電動草刈り機を使いこなす小僧

やるまでも無く、草刈機に軍配があがりそうだ。仕事効率の差は10倍を優に超えてくる。これが道具/設備による業務改善だ。
業務改善によりこなせる仕事量は増えるので、設備や道具にお金を使うことは経済的投資価値があるとみなすことができる。道具にはその改善された業務効率分の価値がある。草むしりを続けた場合、将来、必要になったであろう仕事量の累積から、道具を維持していくための費用や故障などのリスクを抜いたものと同じだけの経済価値がある。はずだ。
製造原価を下限に上限はその期待業務改善効率で道具の価格が決定される。器械や機械により労働者の仕事は一時的に奪われるかもしれないが、実行される仕事成果量は社会全体では増える。
道具を改善せずに、人員でなんとかしようとすると、ゼンショーのすき家ワンオペモデルで報告書があったように、人員の大量動員でのりきれるわけもなく、局地において人員を逐次投下しては全滅を繰り返すことになる。

 

##除草剤業界

除草剤という具象がいわんとしているのは、著しい業務改善をもたらす手順の発見、道具の発明というイノベーションモデルだ。旧来の道具からその将来にわたり提供される期待価値を奪う。しかし、同時に発見や発明に至るまでには失敗がつきまとい、発生した希少性、プレミアムが価値に上乗せされる。プレミアムは仕事の業務効率からだけでは逆算されない。

 

長篠の戦いで織田方が鉄砲を持ちだしたように、道具の改善の延長線というよりは目的を達する別の手段、代替の脅威が顕現したっちゅう感じ。

 

##仕事の価値と希少性

破壊的な創新を伴う働きと仕事の価値について我々は真剣に考えなければいけない。草むしり業界、草刈り業界はまだ同一線上にあるが、除草剤業界から成果の報酬にまじりこんでくるのは希少性だ。

 

この希少性がとても厄介で、希少性について書き始めたのだけど、なんかすげぇ難しく、とっちらかってながくなっちゃったので、分けるね。
今日はここまで!