希少性が生む価値と労働対価。失敗の価値


昨日の仕事と働きの分析のつづき。仕事から生まれた価値に希少性がまじりこんでくるので希少価値について考える。ふわーっとした思索。

kuippa.com/blog/2014/08/12/%E3%81%BE%E3%81%A0%E5%83%8D%E3%81%8D%E3%81%A8%E6%88%90%E6%9E%9C%E3%81%AE%E8%A6%8B%E5%88%86%E3%81%91%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84/

##希少性とサンクコスト

サッカーのプレミアリーグで活躍できるような選手はサッカーの競技人口2億6千万人のうちどれほどであるか。
パブロ・ピカソのように億円単位で作画が取引される画家が出現するのには何人の画家と作品が必要か。
常人よりわずかに走るのが早いだけのウサイン・ボルトはなぜ栄誉を勝ち得るのだろうか。
ダイヤモンドを掘り出すために必要であった土砂鉱石のうちダイヤモンドではなかったものには価値がないのか。
その価値がないものを掘り出すためには仕事が必要であり、その仕事量がダイヤモンドに希少価値として付与されるのではないか。

 
画期的と評される代替の手段の発見、発明にどれだけ失敗はつきものでろうか。発明に至れなかった失敗があるからこそ発明に至れた時の成功の価値は押し上げられる。

 
一定水準に達しないもの。失敗。それは価値がないものであろうか?
自分が犯した失敗、ライバル達の失敗、先人たちの失敗。そこにはどのような価値を認めることができるだろうか。
凡百にも描ける絵、才気あふれるものの絵、さらに歴史に名が残るような画家の描いた絵。価値があるのはどこからか。
果たして経済的には価値にたどり着けないが道義的には価値がある。これはいかなものと評価するか。

 
働き手が生み出した仕事。手間ということで考えればいずれも同水準の価値しかないかもしれない。しかし、除草剤という草むしり業界のイノベーションモデルを考えた場合、除草剤の発明に至れなかったという働きには、仕事成果という面では一本も草を抜かなかったのと同義となる。しかるに成果側面から評価した場合、この閾値を超えられなかった働きを評価するのが難しくなる。

 

 

複雑にしているのは仕事の働きとして交換された価値(貨幣)にプレミア(希少性)がまじりこむからではないか。

 
経済的には失敗したもののコストは成功したものの報酬にサンクコスト(埋没費用)として乗る。
賭け事のように失敗したものの労働は無価値で、成功したもののみが勝者総取り(winner takes all) の仕組みにはなっている。

 

##希少性の掛け算

希少性ももつもの同士を掛けあわせたり組み合わせることで新たな希少性を生みだすことができる。
希少性がある凄いサッカー選手を11人コンプリートすれば凄い希少なサッカーチームができる。
希少性が強まることで交換性も流動性も低くなり、富などとして滞留し偏在するようになる。

大量のお金を持っているということにも希少価値がある。
なので、希少価値をつかってさらに希少性に磨きをかけていくことができる。
経済的な埋没コストに耐えらるには資金的希少性を必要とする。
イノベーションも希少価値の一形態にすぎない。
イノベーションに達したものだけがその果実を手にすることができる。そのイノベーションの果実は誰のものか。
フラッグシップ中のフラッグシップは二番じゃだめなんですよ。二番じゃ。

 

##失敗の価値と成功の成果

智にも希少性はある。
100年解けなかったポアンカレ予想を解いたグリゴリー・ペレルマン。キワのキワ、ピンのピンが挑んでようやくたどり着くことがある人類未踏地。では、そこに挑んでそこにはたどり着けなかった数学者は果たして無駄か?
成功というものがあるとすれば、それは失敗の集大成にすぎない。
ではその成功の恩恵はたどり着いたもののみに帰属すべきものか?

 

 

希少価値を得られなかったもの。1番になれなかったもの。ロナウドになれなかったサッカー選手にも、ピカソになれなかった画家にも価値がないわけではない。…はずだ。成功という希少性を得られなかっただけだ。

 
この希少性。実に厄介で、まだ現代では算出可能なものになっているとは言い難い。バリュエーションなどの学問ができつつはあるが、企業価値のようなわかりやすい分野ですらまだまだである。プレミアとリスクの計算からは一応は出せるが、採用するインディケーターを間違うと近似値にもならないというパラドックスに富んでいる。
人材価値や研究開発となると評価する側の職人芸に頼った決定にすぎない。まだ、えいやーの世界。

 
複雑系においてパラメーターが2つを越せばそこにあるのは確率論でしかない。十分な熱エネルギーを与え、水を蒸発させようとしたときに、水面から飛び出す原子がどれであるかは、観測を絞りある程度の予見はできても確定はできない。科学のような再現可能な分野ですらそうなのであるからして、未来を事前に知り得ぬ人間には人の才気のような曖昧模糊としたものをもって成功にたどり着くか否かを事前に確定することはできない。つまり成功というものを想定するならば、失敗があることは確定しなくてはならない。

 

 

成功か失敗か。0か1かの評価はわかりやすい。
しかして、その失敗の内訳を考え、成功にどのような貢献があったのかなどはまだまだアンデジット(数値化できない)で評価はまだ体系化できていないと言っていい。

 
よって、現代までのところ、希少性から生まれる富の偏在は成功者ばかりにかたよることは止むえない。貴族義務(ノブレス・オブリージュ)とやらで成功者は資産などを自発的に社会にある程度還元してもらうよりない。まあ道義的な範囲で。ビル・ゲイツもバフェットも成功した大企業も恐ろしい、ねたみが混じった社会の目から隠れることは不可能である。こわいんだけどまだそれしか手段がないんじゃないかな。

 

##絶望価値

労働から希少性という不確定要素が外され、素の労働価値からしか算出されなくなると、結構怖い。奴隷制時代と変わらない。ある意味においてそれも合理的なのだろうが、逆行しすぎだ。

 
ダイヤモンドの鉱脈以外でダイヤモンドが出ることはない。不確定要素は時代が進むにつれどんどん狭まりつつある。君がfacebookのマーク・ザッカーバーグになれないことは早い段階で予期できるのだ。そしてツマラナイ大人になって上司の悪口をいいながら背中を煤けさせて居酒屋で酒を飲むのを責めるのは奥さんだけでいい。

 
あいつは璧(へき)だ、あいつは石だと、あまりに世間を無価値なものと評すると社会性動物として社会を維持していくことができなくなるし、人類のここ数百年の文化的な研鑽を無為にするのも気が引ける。しかるに、他山の石、無用の用たるものを認め、いかに多様な価値をつけていけるかが今後の課題となろう。

 

いや、まあさておき。

現代においてはこの労働価値が持つ意味が大きく変質しようとしている。ように感ずる。
日本における事務職の有効求人倍率は0.19だ。ITで業務改善効率がすすみ仕事量は増えたが雇用は減った。まだ情報技術革命がとりこまれていない労働集約的な土建業界や介護業界は雇用市場はいまのところは活況だ。

 
2020年には10万円のパソコンのほうが並の人間より処理能力が高くなる。考えることができるという我々人類の希少価値が今後シビアに問われることになるだろう。

 

人間の持つ、可能性はかなりの面で予見可能なものになり、不確実性はどんどん狭まってくる。もしかしたらその人間が生まれる前にどんな希少性を持つかなどということがある程度のレンジで確定してしまうかもしれない。そんな可能性がある。ある種の人間は2030年には現代の痴呆老人なみの労働価値しかつけられないかもしれないのだ。下手な考え休むに似たりで、いっそ休んでてくれと。いや、ある種の人間ではないな。自分を含み、おおよその人類はとしておいて問題ないだろう。

 
希少価値は成功したものが勝者総取りであると書いた。競争環境がフラットになるなかで人類総負けになる可能性は十分に考慮しなければいけない。

 

あなたはマーク・ザッカーバーグにはなりえないのだから、磨く必要もないよね。と。大人にもなるまえから言われたら子どもたちはどうしたらよいか?
希少性は偏在し、遍在するのは約束された失敗ばかりとなっては人類はたちゆくまい。

 

##偽証価値

桃栗三年柿八年。
柿が実をむすぶのに8年の歳月が掛かるとする。
樹齢8年以上の柿の樹木の所有権はいかほどか。
まだ実をつけない柿の樹木の所有権はいかほどか。

 
プレデトリー(predatory:肉食的)に7年目まで育てた柿の木を搾取することは可能だ。
搾取というのは、意図して評価を歪めるということだ。
この木は実もつけないやつだからと二束三文だねと評価して取引する。
また、実もつけない木を柿の木だと偽って取引することも可能だ。

 

反復継続しない限りこの悪意や無邪気な無能をはじくのはむずっこい。

 

知能集約型の労働ではこの偽証が問題になる。
研究開発が実を結ぶまでは基礎研究から30年の月日がかかると言われている。
経済価値は四半期ごとに評価されるのが標準になっているところで、どこもそんな長いタームでリスクを背負うことができなくなってきた。結果、市場には搾取と不正が入り交じる。悪貨は良貨を駆逐するとはよく言ったものだ。

 

 

コンピューターシステム開発の現場。
システム開発は数学の問題と似ていて、解までたどりつたシステムだけが稼働する。
システムを作れるエンジニアには希少価値がある。だいたい業務エンジニアを名乗るものの20人に1人程度の確率でしか存在しない。あとはおまけだ。

 

稼働しなかったシステムはゴミだ。
妊婦を10人集めても1ヵ月で子供は生まれないというのに、たまたまうまくいったケースを再現しようと、「そうか!腹がふくらんだ人ならば、子供が生まれるのか!!」と、わずかばかりの可能性を信じて腹の出た人ばかり100人集めているような現状。それ全部メタボなおっさんだかんね! そして市場は、とても酸っぱいレモン市場になる。

 
成果を結ばない労働に価値をつけるのは困難を極める。
成功者が出るまで、実を結ぶまで、失敗の経済価値は評価できない。
しかし、喰わずには働けぬので予見して価値を付けねばならない。
であるからして、成果をだせるという申告には欺瞞が混じり、成功には希少がつきまとう。
どちらからも、評価はまだまだ難しい。

 

 

##需給ギャップと通貨

労働はよく通貨と交換されるが、通貨は必ずしも労働と交換される対価ではない。
これは通貨が蓄積できるという性質を持つからだ。

 

紀伊國屋文左衛門が財をなしたのは需給ギャップである。トキとバショは人間には動かすことができない。故に、モノやカネは偏在する。その偏在を掴めれば市場価値が生まれ、必要とされるときに必要な場所に少ないという希少価値を掴むことができる。

 
これは働きとは別のものではあるが、よく働きと混同され同じ通貨という尺で交換される。お金を稼ぐのが目的であれば、わざわざ労働と金を交換するよりも、金で金を稼いだほうが効率がよいのは道理である。よって現代では信用取引などの市場が十分に平滑化していない相場を利用して猛威を振るうのである。一国を吹き飛ばすほどの自由になる金をもっているという希少性をもってして相場を動かし、価値のモノサシであるカネが変動するのである。

 
よくして労働の価値は通貨と交換されるが、通貨の価値は希少性と交換されている。
これが分かり難いため金さえあれば働かなくてもよきかなと小人の閑居を誘うが、あまり善き結果はうまない。

 
八百屋も魚菜屋も旬のもは多く出回るから安くなる。旬なんで脂も栄養ものっているから食うとうめぇ。安くなっているのに質がいい。ここには通貨で計られる価値との相反が見られる。

 

##希少性

草むしりから始まって、希少性まで辿り着いた。
現代の働きから希少性をアンレバード(テコの原理を外す)して、偽証とかをとっぱらったときに草むしりでいうところの、働きがどれほど残るかはなぞなところである。

 

心配なのは、いままで地域ごとでセグメンテーションされるこたから確保されていたご当地の希少性が取り払われる事態で、その時に素の労働として換算されたら結構、地域経済というものは拙いんじゃないかという未来である。

 

 

かの太公望は釣り針をつけずに釣りをしたそうな。
これは完全に虚無なる働きである。

 
数学的に逆の裏は真なりというジョークがあるそうだ。


魚もいない川で釣りをするのは無為な所業である。

しかるに、魚の居ない川で釣り針もつけずに釣りをするのは逆の裏で対偶となって、紙一重でどう考えてもあちら側ではあるが、それはそれで真なる振る舞いなのかもしれない。

実際にそれを批判できるのは、太公望の働きを失敗と評し、誰も成功に辿りつけなかった場合のみだ。白いカラスは見つかるまでは否定できないのだ。悪魔は居ないことは証明できない。
故に、成果がないと断ずることはできるが、成功がでるまで失敗にどのような価値があったかとは評価できない。
太公望の行いには成果が予見されないだけで働いてはいるのだ。
然るに、お客さんが居ない商店街で扉をしめて商売をするのはいかがであるか。などと自己正当化もついでに試みる。

あほじゃねーのと、賛同を得られるとも思わないが、予見可能に従い行動するのは、聡い振る舞いではあるが、つまらぬことだなどと、奇少な意見を述べて貴笑でも誘えれば未来も万事吉祥なり。

 

うんじゃーね。なんか古文風になったのはなんの影響だろう。

 


恐竜時代の重力は小さかったんじゃょ、たぶん。


俺刊ムゥ?という感じでいい感じに怪しくなってきたが、思考実験的に考えてみたら以外と辻褄があいそうなので、書いておこうかなとおもった。
30mの恐竜だとか、9mのキノコの化石がでるたびに、不思議に思う。現代と本当に重力は同じであったのであろうかと。一般的に地球の重力はその地球の歴史上均一であったとの考えが主流である。しかしそれは本当であろうか?
現代の地球上でもっとも大きな生物はシロナガスクジラで30m級の個体も生息する。陸生生物ではアフリカゾウで3.5mが最大級である。キリンの全高は5mを超えるが(最大記録579cm)、現在陸上に10mになるような巨大動物はいない。
そのようなサイズになれないのは、進化による修練ではなく物理的要因による。シロナガスクジラは肺呼吸であるが陸上にあげ水による浮力が働かない状態になると自分の重さで呼吸もできず潰れてしまう。

その重さを支えるのに必要な原生生物の筋力や骨格構造では無理なのだ。
骨格、構造上の問題だけではない、地球の重力加速度1Gは9.80665 m/s2 である。1Kgの血液を10mの高さにあげるだけで W=mghなので、98 kg*m^2/s^2 =98J(ジュール)の仕事量が必要になる。循環させるにはどれだけか。これじゃ、どんだけ食っても腹ペコだ。

だから、恐竜でけぇ!キノコでけぇ!!ひゃっほーぃという小学生並感想と一緒に、あれ?もしかしてそもそも重力が小さかったんじゃないかなと素朴に思うわけだ。宗教的な理由で進化論が国民の半数も信じられていない国もあるが、日本は比較的寛容なので、古代地球についてあれこれ放言したところで宗教裁判にかけられることもあるまい。そこでひとつの仮定をたててみる。

 

仮定:恐竜時代の重力は弱かった

以上を仮定として、それは何故だろうと考えてみよう。

地表の重力は遠心力と地球の引力のベクトル和で計算される。遠心力は質量×地軸までの距離×(角速度)^2と計算される。つまり、重力を変化させるには、一つには地球自身の質量が増えた可能性。そして、地球が膨らんだ可能性。そして角速度が変化した可能性を考えればよい。

万有引力は万有引力定数×天体の質量/(天体の半径)^2で計算される。天体が重たくなったり、天体が小さくなると地表面の引力は増す。 地表で計算すると、引力の方が遠心力の約290倍の影響の大きさがあるそうだゎぃ。※追記:地表面における万有引力をびっくりするほど無視してたので追記してます。

遠心力で一番要素当たりの変化が大きいのは角速度だ。角速度 ω [rad/s]はt [s]秒間に θ [rad] だけ回転したときの θ [rad]/t [s]で表される。つまり、なんのことやわかりにくいかもしれないが地球の自転速度だ。
地球の自転速度が変化することなどあるだろうか?
実は極最近もあったばかりだ。先日の東日本大震災で、地球が1回の自転に要する時間が、1000万分の16秒だけ短くなったとみられることがわかっている。つまりごくごくわずかではあるが3.11前と後で重力は少し強くなっていることになる。

つまり地震などの地殻変動により地球の自転速度には変化があることがわかっている。数億年にわたる地球の歴史のなかで地殻変動は常におこっておるので、自転速度が地球誕生から常に一定だとする前提のほうに難があるのであるのではないか。

 

地殻変動意外にも要素はある。恐竜は隕石の衝突からきた環境変動により滅びたとされるが、その隕石が衝突する前に地球の衛星軌道に捕まり数千万年なり地球の周囲を周回したという可能性はないのだろうか?
小惑星もいきなり重力にひっぱられて突っ込んでくるわけではない、その地球の重力圏のはしっこにひっかかってスイングバイを繰り返しながらすり鉢の中心に落ち込むように接近してくる。
月と地球の重力関係だけをみてもすぐには地球に落下せずに地球のまわりを周回する軌

道につかまる可能性は月がそこにある確率より俄然高いはずだ。
生命の大爆発がおきた古生代、カンブリア紀は約5億4200万に始まり2億5100万年前のペルム紀(二畳紀)で終わる。ペルム紀の終わりにP-T境界という地層を残す巨大隕石の衝突がある。恐竜が生息していたのは中生代、約2億5000万年前からはじまり約6500万年前におわる。K-T境界という地層を残す巨大隕石の衝突があった。
それぞれの時代、地球にはもうひとつの小さな月があったのではないか。
3億年前に初めて重力圏に捉えられた小惑星は地球の自転速度に影響をあたえ、複雑な潮汐をおこさせ爆発的な生命の種を生み出した。やがてその小さな月が地球に近づくにつれ引っ張られてパンゲア大陸ができた。そして落下し消滅し、大陸はその偏在した重力から開放され、パンゲア大陸は6つの大陸にわかれた。(←いまここ)

 

とか、どうだろう。ん~。ちょっと無理があるかな。

恐竜を絶滅においやった隕石はメキシコの直径160Kmのチクシュルーブ・クレーターを残している。推定10Km程度の隕石だ。生命を絶滅においやるには十分なサイズではあるが、潮汐や自転速度に影響を与えるには小さすぎる気もする。

遠心力を完全に無視したところで体重60キロの人が1キロ減る程度のちから。恐竜のような巨躯を支えるには及びそうもない。

遠心力より290倍の影響力がある万有引力を考えた場合、一番大きな要素は地球の半径の変化だが、地球の半径が大きくなったり小さくなったりすることはあるのだろうか??

パンゲア大陸の終わりにはスーパープルームとよばれる超大噴火があったと知られるようになってきた。内容物が吹き出して古生代の終わりにはしぼんだり、中生代には膨らんだり・・・。超新星爆発意外で、惑星の大きさが変わるなんてことはあるのだろうか?

高精度シュミレータで過去の地球の重力加速度の変化が確率的にでも証明されれば現在不明とされるかなりの部分に光があたるきがします。地軸の傾きの変化とか。あ、太陽の地場変化とかも可能性があったか。

地球の重力が恐竜時代も今と同じであったとすることのほうがむずかしそうだなと思いました。証明はまかせた!

俺刊ムゥ?では、適当にぶちまけて欲しい世界の不思議を募集いたしております。ツイッターとかでおよせください(´・ω・`)本当にこられても困るけど。

 

※追記: ニュートン先生の発見の万有引力をくそ無視して話ししてました。恥ずかしや。引力ってすごいね。コリオリハベリイマソカリ(謎)

 

参考:

巨大動物図鑑
biggame.iza-yoi.net/
重力
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%8A%9B

5.3.1.1 円運動
www.wakariyasui.sakura.ne.jp/b2/53/5311en.html

地震で地殻大変動、地球の自転速まる…NASA
www.yomiuri.co.jp/science/news/20110312-OYT1T00235.htm

ディプロドクスの27m、重さにおいてはブラキオサウルスの推定80t(体長23m)
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222764507

恐竜絶滅の真実~地球膨縮説~
titmouse4a.web.fc2.com/contents/report/rep1.html

古生代
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%9F%E4%BB%A3

中生代
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%9F%E4%BB%A3
チクシュルーブ・クレーター
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

 

懐かしのコロラド大の人工衛星シュミレータ
www.colorado.edu/physics/2000/applets/satellites.html

人工衛星スイングバイ(無料版)
play.google.com/store/apps/details?id=com.blogspot.uc1991.game.gravityassistsimfree&hl=ja

 

第二部-2- 地球の科学 www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/juryoku-01.htm

プルームテクトニクス ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9


はじめてのレヒニッツ写本


半年前のエントリーがぷち炎上状態。なぜ今日になってヴォイニッチ手稿がバズったのか。謎い。やたらとツイッターのメンションが飛んでくるので眺めてて「挿絵がかわいい」というレヒニッツ写本なるものの存在を知る。画像検索。なるほど、かわいい!
何ページか見る限り、なんかこれなら普通に読めそうじゃね?という気になっている ← いまここ

    ___
   |・∀・|ノ  よっこい
  ./|___┐
    /  [ 調子 ]

      .___
    ((ヽ|・∀・|ノ  しょっと
      |___| ))
       | |
      [ 調子 ]

 

おっさんの感想

  • 挿絵かわいい。挿絵だけみてても話しが読める。
  • 神話を交えて王家の戦いを権威付けした戦記ものかな?
  • 作者左利きだね?
  • 右から左に読むのかな?
  • 文章は上から下に読むね。
  • これは暗号ではない。文法構造そのまま残っている、なんで解読できないんだろ?

www.dacia.org/codex/original/original.html

ページ上部に書かれた187というのはページ番号。後世に書き足されたものだと思われる。
ページ番号を書いた人は右利きだろう。右利きのひとは中心線より右に倒れる傾向がある。他方、左利きのひとは、中心線より左に倒れるクセが出やすい。比較しやすいようにグリッドを引いてみた。

grid1

 

 

 

文字がこのような特徴を持つというよりは、この傾きは記し手個人の手癖だとお見受けするでござる。
元の言語仕様かわからないところだがこの文章は右から左に書かれている。これは行頭が揃っていて文末が揃っていないことから推測した。

grid2

右側は揃っているが、左側は不揃いになっている。書き出しを不揃いにして行末をそろえて書くのは書き手の難読化という意図を必要とする。無意識下でおこなわれることではない。cなどが逆になっている形状が多く見受けられるがレオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように著者は鏡文字を書く人物だったのかもしれない。鏡文字は左利きの人間に多いといわれている。
文章を上から読むのか、下から読むのか。
正直判断しきれないのだがアルファベットに似た文字だとするならばこれはもしかしたら鏡文字のうえ上下さかさまに書かれている可能性もある。wikipediaにもそのような事が書いてあった。レヒニッツ写本をみるのははじめてなので予備知識も別にあるわけではない。ぱっと見では判断しきれない。これは改行を含むセンテンスが上に続くか、下に続くものがあるかないかで判断したい。

 

少し苦労したが、ざっと探した範囲ですぐ見つけた。

grid3

 

 
www.dacia.org/codex/original/optm_23.jpg

23ページ。
色の違う下線を引いた部分が同じ内容だということがわかっていただけるだろうか。三行目にある連語が、4行目、5行目にもまたがって出現している。故に進行方向は上から下だ。ついでに、この連語の発見により右から左に読むということも証明された。ちょっと探せば見つかるので、むしろ、なんで誰も検証しなかったのか問い詰めたい勢いだ。
文章構成。
典型的ないわゆるアルファベット語圏、ラテン語圏の文章のようにみえる。個人的に挿絵が可愛いものを分析したほうが楽しいので、それをネタにする。
テキストの41ページをひらいてください!

このお花をもっている王様「っ×」と、クワガタを持っている訪問者「nI N」のページをみてみよう。
www.dacia.org/codex/original/optm_41.jpg
この挿絵は訪ねてきた人が「王様〜!このクワガタとなんか交換しない?」「じゃ百合の花でど?」と言っている光景である。たぶん。


冗談がすぎるので、すこし話題をそらす。
文字は大別すると音を表すアルファベットやカタカナのような表音文字と、その意味までを表す漢字のような表意文字がある。これは前者の表音文字であろう。表音文字は文章を構成するときに字数は増えるが、その分、記載のための形状がシンプルになるように進化するのが一般的だ。しかし、このレヒニッツ写本を何ページか見た限りシンプルな文字のなかに出現頻度はすくないものの、挿絵かと思うぐらい複雑な形状のものが混じっている。複雑な形状が表すものは、おそらく地名や家名のような固有名詞であるものと考えられる。ヨーロッパの王室が結婚を繰り返すたびに家紋が複雑になるように、そのような合成意があるのではないかと思われる。それ以外にもどのような行動をとったかその動作を記したかのような文字も見受けられた。

仮説をさきにたてる。他のページの挿絵からこれを戦記モノだとする。背中に天使とかがでてきているので聖戦の権威付けをしているのだろう。受胎告知のような光景や茨の冠、十字架もでてきているので以外と近代のものなんじゃないかなと思う。
写本全体をみるかぎり部分的に一致するのに少しづつ微妙に異なる単語が頻出するのだがこれは家族名を含むファミリーネームと個人名なのではないかと想像する。続く数字のような楔文字は兵の数かもしれない。複雑な表意文字は家紋であろうか。さて、仮説はこれくらいにして、テキストにもどろう。
頻出する単語がその文章において重要な意味を持つのは洋の東西を問わない。どんな単語がでてくるかをみるために、お題のページでマーキングしてみた。2音程度の単語は助詞か接頭辞にあたるものだろうので文意をよみとくにはあまり重要ではないので今回は省く。

grid14

 
色分けしてみた。残念ながらこのページ内ではあまり重複している単語はあまりないようだ。
登場人物は王と訪問者「nI N」だ。あとその従者と、塔から覗きこむ人物という伏線あり・・・と。城の上にはなにやら場所名らしき見出しがついているが、このページの文中には同じ単語はないようだ。「っ×」は挿絵で王様っぽいおっさんの上にもででている。なのでこれを「王」とする。王という前にALI(ILA)という単語も頻出している。これはただの定冠詞の可能性以外に、国名という可能性もある。「nI N」は他のページでもでてくる、が、このページではその出現頻度から主人公はあくまで王だ。なのでALIを国名と仮定する。もうひとつでてくる 「「」みたいな文字はALIと出現頻度が同程度ででてくる。これも国名に相当するものかもしれない。
あとは動詞と、それがどのように動いたかの形容詞、名詞なので、他のページにもでてくる単語を潰して置き換え可能な単語帳をつくれば、極普通の翻訳手順で解読が完了できるのではないかと思うのであります。この1ページをみるだけで十二分な情報があるのでこれが数百ページもあれば、あとはマンパワーさえかければ十分な単語帳がつくれるんじゃないかと思います。それがいままでできていないってことはなにか障害があるのかもしれないけれど、そもそも下から読むのか右から読むのかもわかってないレベルというだけだから、まじめに分析しようというポジションで読まれたことがないだけなのかもしれないね。
はじめてみたのでよくわかってないけど、これは解ける問題なんじゃないかなと思いましたよ。

 
おまけ。
ヴォイニッチ手稿へのコメントで、ちゃんと研究しているひとへの冒涜だとかあったけど、共通の言語体系をつかっていても文意を汲むって難しいよね。そもそもここに書いている内容なんて、与太話の延長線。その与太話を戯言以上のものにするケイパビリティ(能力+経済+時間)は、残念ながらわしにはないのです。それを踏まえたうえでの、レヒニッツ写本への戯言なのでお情け賜りたく。

あと、音楽はけっして無作為な文字列の羅列じゃ残念ながら聞ける音楽としては成立しません。楽曲として成立するにはそれなりのルールがあります。参考にとりあげた1ページをみても、思いつきで書かれた曲ではなくて何度も演奏され、こなれた曲であるような印象をうけています。文中にキーと書いたのは通奏低音のことで、補助コードといったのは和音として成立しうる組み合わせのことです。12平均律が確立した現代音楽と1500年以前の音楽は基本的に音の数から異なりますが、和音や音の繋ぎは周波数の組み合わせの問題なので、無作為には成立させるには天文学的な施行、確率が必要となります。逆に音楽として成立するものには音楽の文法にのります。決して意味のない文字列にはなりません。言語と音の関係については、あれこれ言える気がするんだけど寝言にちかいのでむにゃむにゃむにゃ。

あと、遺伝子の、いわゆるジャンクコード。個人的にはこれにも意味があるものと思っています。無用の用ってね。発現するだけが遺伝子じゃないし。例えば、なにかしらの転写エラーではじめて役に立つデジット的な意味があるとか、DNAにダメージがあるとそこから先に切れるとかそんな意味があるとおもっています。機能しているはずのコードが転写ミスで違うものになってしまったときにはじめて読めるようになるとか。そんなものなんじゃないかなと。
ただ、本当にただリファクタリング(再構築)されていないだけのジャンクコードもあって、線虫とかハエとかのほうが人間よりゲノムベースで長いんですが、これはだからこの下等生物め!というわけじゃなくて、より転写の際にエラーが起きやすい長ったらしい構造を維持しているのだとおもいます。そうすることで急激な環境変化に対する適応能力が優れるのかなと。個体としてではなく種として持っている遺伝子の糊代なのかなとおもいます。まさに無用の用というわけですね。
遺伝子解析とかバイナリコードとか、はたまた会社の決算書とか。世の中にはパッと読めないけど意味があるものがたくさんあります。
奇書の類でも、言語の体裁をとってくれるなら近い将来電算処理で読めるようになるんじゃないかな。まあ、失われた言語だとかここらへんの形態解析は発生からシュミレートすることで、意図的に難読化されていないものはそう遠くない将来に解読できるようになるものと思うわけです。

  • 第一世代:文字→結果/出来事を抽象化することで知識などの共有がされる。小説の主人公に想像し感情移入する。
  • 第二世代:メディア像→映体などを通して体験を抽象化し受信者に想起させる。映画の主人公の追体験。
  • 第三世代:思考経緯を抽象化、思考プロセスそのものから共有できる(次世代)

戯言だけれども