iコンピテンシ・ディクショナリと無意識的無能


情報処理試験やらでお馴染みのIPAさん「いまオシ」のiコンピテンシ・ディクショナリ(以下、iDC)のセミナー聞いてきました。オレが聞いてどうするという感じなのだけれど、聞いたというか、主催側なので・・・。

 

規模的に60人以上技術者を抱えている受託や派遣型のソフトハウスぐらいからは効果を発揮するんじゃないかなと感じました。業務上ISOとかPマークとかを取得しないといけないような会社にはいいとおもう。iDCはITスキル標準(ITSS)みたいな何かです。2014/7に試用版を公開して、2015/6に2015版を公開、ちょうど今頃に前年の取り組みや実績があがってきた感じです。

 

プレス発表 企業の目的に応じた人材育成に利用できる「i コンピテンシ ディクショナリ2015」を公開
www.ipa.go.jp/about/press/20150630.html

ここらへんは情報システムユーザースキル標準(UISS)、組込み技術者スキル標準(ETSS)などわちゃわちゃしているんですが、ここらへんがまとまってきた感じなんでしょうか?流行りもの感はぬぐえませんが、それだけ要望が強い分野でもあります。
iDCは主にタスクディクショナリとスキルディクショナリから構成されていて、業務遂行にあたりスキルセットを確認するためのチェックツール(というよりリスト)になっています。なんかIT系のヘッドハンターとかがヒアリングしながら値踏みしていくときのチェックしていくシートっぽいよね。

 

これをつかって抱える人材の弱点や強みの確認や、人材育成や教育にやくだてていきましょう。ということです。
印象としてはPMBOK(ピンボック/プロジェクトマネジメント標準知識体系ガイド)ぽいなーと。設計のときに相互互換は考慮したというようなことは言っていました。

 
ただ、なんかこういう評価項目がupWorks(oDesk/海外のクラウドソーシングのサービス)とかにあったら、外国の人、特にインド人とかは全部に◎をつけてゴリゴリっとアピール返してくるよね、と。そういうときどうしたらいいんだろうね?

学習には段階があって、よくいわれているのは、

1.無意識的無能:できないことがわかってない状態
2.意識的無能:できないことがわかっている状態
3.意識的有能:意識すればできる状態
4.無意識的有能:意識するまでもなくできる状態

とかになっているって言うじゃないですか。(たしか本当は5段階)
こういう自己申告によるチェックリストの場合、

「できないことすらわかっていない人物」と「できることを意識する必要もない人物」が、同じ自己評価になる可能性があるんですよね。

例えば、
Q「(戦略) 市場機会の評価と選定 > ビジネス環境分析手法 > ニーズ&ウォンツの把握」

無意識的無能くん「◎だろ、余裕ダシ!フンイキでびしばし伝わっし!いつもやってっし!!」
無意識的有能さん「☓かな。難しいんだよね。こないだも顧客の要望汲み取りきれなかったし…」
なんて具合いに、予想される成果から判断すると評価が逆転する可能性すらある。
そもそもできる子のほうが状況把握が正確なので評価が厳し目になる。
「できる子」は条件が出揃わない状況で安易にできるとか言えないもんですし。

 

それに、「できる」と言っても、アウトプットが金になるレベルとゴミにしかならないレベルは実際には混在する。そんで、業界や所属会社によってはゴミでも金にできたりするのが、またなんとも・・・難しいところ。
プログラミングも成果物と実績でしか評価できないという点では、小説家や作曲家とたいしてかわらないのだけれども、「漢字が書ける」「バイエルンが弾ける」を持ってして、同じスキルやタスクを処理できるものとしてあつかっていいものか?
正確にその部分だけを反復して市場で競争するわけではないから、外形評価も自己評価もとても難しい。
それに同じ作者だって名作と駄作は混在する。
定量的な何かがないと、スキルセットとしてはインディケーター(ものさし)の問題がつきまとう。
人間も負荷をかけてベンチマークをとることぐらいはできるけれども、やはり表層的にならざるを得ない。

「握力20Kgなのに大車輪ができるのはおかしい」とか、コンピテンシーディクショナリがビッグデータになるほどデータを貯めてスキルやタスクの相関が見えるようになっていけば、無意識的無能と無意識的有能の区別がつくようになるかな?

 

でもコワーキングとかコライティングとかの協創の未来を予想すると、寄与度がどうこうだとか、いばらの道になるかもしれないし、どうなんだろーねー。

人から評価されたり評価したりする世界から遠のいちゃってるので、鈍って答えが出ません。

 

どうおもいます?