第五夜 資本と時価


あなたの価値はあなたがいままで胃袋にいれた食品の合計価値で決まるであろうか?

お勉強回です。ちょっと間があいちゃったね。

資産と資本って違うんじゃね?というつっこみが入った。
人的資本を絡めてしまったために混乱を招いてしまったようだ。資産と資本についてもちっと踏み込んで書いておかねばいけない。

ちょっとだけ財務会計と管理会計

言葉の定義でもにょもにょするのは嫌なので、定義が明確な企業の財務会計でみてみよう。財務会計は法での規定がある会計のことだ。企業は反復継続する事業を営む組織であり、この事業体が営業をおこなうためには営業資本(経費)を必要とする。これは貸借対照表で左側の資産の部にあらわされる部分だ。現金預金とか、売り物の商品とかがいる。
右側、負債の部+純資産の部の合計とバランスする。純資産の部には株主資本とかがいる。

主な科目の貸借対照表

※見やすいように議論に必要な科目をぬきだした貸借対照表
↓詳しくはwikipediaでもみてね
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%80%9F%E5%AF%BE%E7%85%A7%E8%A1%A8

多くのひとが商売の原資、営業資本として認識するのは貸借対照表の左側位にいる資産の部のことだ。現金預金も、商品も製品も、仕掛品も、売掛金も資産である。何が流動で、何が固定かは正常営業循環基準、ワンイヤールールにのっとって評価され一年で現金化されるか否かで決定される。

で、当然、この財務会計上の貸借対照表には人材価値などというものはのってこないし、土地の含み益のようなものものらない。例えば土地のようなものは取引価格が上下するので、最終的な取引時に益を抱えることも損をかかえることもあろうが、日本の財務会計では取得原価主義会計が基本となっている。購入したときの値段だ。課税根拠も簿価上の取得価格と、売却したときの実売価格を差額を根拠に課税されるので、取引が発生する前の現在の時価相場価格がいくらだからということで評価されることはない。

ただ個人の相続税などの場合は、実際に売らなくても取得価格と公示価格より算出された額との差益について課税されるし、また最近は裕福層のキャピタルフライトを防ぐために保有株式などの含み益にも海外に出国するときに課税をしてしまおうと法規制をしようではないかという取り組みもある。

・・・。
この話し、、誰もついてきていない気がしてきたけど・・・、つづけるよ!

株式市場で評価される会社の時価総額は「発行株式×最終取引価格」であらわされる。この時価総額はマーケットからの評価をえたものであるのでそこには人材価値や不動産の含み益などを含めたものとして評価されているではないかという反論もあろう。

しかし、マーケットでの最終取引価格がどうであれ、財務会計上は貸借対照表の右下にいる純資産の部に鎮座する額面であり市場取引価格ではない。株式市場は株を持っている株主が取引をするための市場で、(もちろんそのなかには自社株を売り買いするのも自由であるが、)企業が資本を市場から調達できるのは上場や新規株式発行など自社株式を売却したタイミングだけである。(キャピタルゲイン)

参考:就職したい企業ナンバーワンということで引き合いにだした住友商事の貸借対照表

住友商事2013決算短信

住友商事
2013年度 通期 決算発表 決算短信
www.sumitomocorp.co.jp/ir/report/summary/2013/

個人事業主の貸借対照表(国税庁 貸借対照表作成のてびきより)
個人事業主貸借対照表

簿価と時価

さてさて。
しかし、会社が自社の業務を正常に管理するためには、含み益、含み損も管理しておくことは重要である。これは法律では定められていない各社の裁量に基づいた管理会計によっておこなわれる。管理会計下では、抱えている在庫を全部予定の売価で売り切ったらいくらになるかなどの管理をおこない経営の助けにする。
管理会計、ある意味においては時価主義会計主義といえるかもしれない。相場価格にもとづいて、まだ発生していない取引を想定して在庫などを評価する。財務会計上の在庫の評価は税務署に届け出をおこなった先入れ先出しなどの取得原価によっておこなうが、管理会計上は取得価格、棚卸し高だけではなく、じゃあそれを売ったらいったいいくらになるんだい?という管理などをおこなう。

原材料をいくらで仕入れていくらで販売する(予定である)という、時価的な評価の場合はたしかにそこには人材価値や事業価値が内包されるかもしれない。まだ加工もされていない原材料に付加価値をつけたものが売価であるので、それがいくらで売れるかが決定されていればそれにこしたことはない。実際に取引は発生すれば簿価にのることになる。

時価総額

住友商事 の 2015/1/19 の株式の終値は 1,172.5円であったので、時価総額はこのようになる。
住友商事時価総額

しかし、ここから算出された時価総額は最後におこなわれた株価に発行した株式数をかけたものにすぎず、そのお金を用意すればその株式をすべて買い占められるわけではない。時価はまだ成立していない取引の目安としての価格なのである。実際に買い手がその会社を買い占めようとしたらその値段より高くなることも安くなることもある。
時価総額はその企業の参考価格にすぎない。(1,466,332百万円)

もうひとつ企業には参考価格と言えるものがある。
解散価値とも呼ばれるもので、今日その時点で会社を精算したら資産から負債をさしひいた純資産の部は残るよねと。まあこんなような簿価上の価値も企業の参考価格だ。(2,540,184百万円)

実際の企業の経済価値の評価をしようとしたら事業内容や個別事象をつぶさに掘り下げた価値算定、バリュエーションが必要となる。法人が事業売却するときの相場がその会社の営業利益の3~5年分だとか、そういう相場はあったとしても、じゃあ実際にいくらで取引するかは買い手と売り手の状況に応じた時価である。

築地に水揚げされたマグロだって買う人と売る人がいて初めて値段がつく。時価取引だ。
モノや法人の取引でさえ、こうなのだ。人物の経済的価値を割り出そうとして、その人を育てるのに食費がいくら、学費がいくら掛かったからという積み上げ原価だけで計算する人はあるまい。最低限の賃金はそこから決定されることぐらいはあるかもしれないが、そこからいくら積み増せるかは、その人がもっている才能が労働市場などでどれだけの比較優位をもっていて経済価値があるかで時価が形成されるであろうことは、想像に難くない。

で、そういう取引として発生していない、統計値としては拾えないようなあやふやなものは除いて考えよう、人材価値とかは考慮外にしてデータを追っていこうと言ったのはピケティである。

成立した取引(時価)は誰かの簿価として記録される。誰かの簿価になれば、それは統計として集計できる。実際に取引された資産の価格を追っていけば、どのように資産が成長したかは追えるよねというのが21世紀の資本の主張根拠で、これを法人のような卑近な例でまとめると財務会計でいうところの資産の部をながめながら、I/S(インカムステートメント、PL)がどのような時間経過で変化したかを率で追う話しをしているにすぎない。

株式市場において、その日の終値を追い続ければ、会社の成長率や収益率がわかるよねと。
土地価格の定点調査をしていけば土地の価格上昇がわかるよねと。

まあ、参考指標としてね。

時価には何が挟まってくるのか?

ピケティの21世紀の資本についてまとめた記事から引用してみる。

nikkan-spa.jp/776037
『21世紀の資本』の要旨は、「r>g」というひとつの数式に集約することができる。つまり、ピケティによれば「r(資本収益率)」は常に「g(経済成長率)」を上回るとされ、今後「r」は平均4%程度に落ち着き、先進国の「g」は1.5%となるとしている。

ここでのrは資本収益率で、資本売却益を考慮するものではないことに注意が必要であると思う。rもgもどちらもフローに注目した話しで、フローが高いからストックにも差がでていくという理路である。

株式でいえば配当益。不動産でいえば賃料。ここには一義的には売却益などは含んでいないものとかんがえられる。しかし、上にも述べたとおり個別の個人や企業は取得原価主義にて取り扱われるが、統計上の国民総生産や企業の利益の合計には、資産を売却して本業外利益として特別損益を経常するような会社も入ってくる。一部であるが、その年に精算された売却益も含むものである。

なので、I/Sを市場全体の統計値としてみてしまえばこれらの収益率には資産の売却益も内包したものになる。売却益には人材価値などのマーケットによる価値評価も受けているので、含んでいるものとして考えちゃっていいんじゃねっと。

筋はとおっているし、言いたいこともわかるが、ここでの収益率には農地であれば農民の価値創造や、事業であれば付加価値分が内包されているということを考慮してやらないといけないんじゃないのというのが、前話まででのいいたかったことの背景にある。土地の価格だって、周りの環境醸成があるからあがるのであって、それって単純な資産の成長じゃないよね、と。企業の資本がのびたのは営業活動がおこなわれたからだよねっと。営業資本は黙ってても成長するんじゃなくて、そこに付加価値活動がおこなわれたから資本が増加するんだよね、と。

だから個人よりも才能の比較優位を組合せられる組織のほうが収益率が高くなるんじゃねぇの、と。
そりゃ価値付加活動がおこなわれた資本の収益率のほうが、全体の経済の成長率より高くなるよね、っと。

余談

利益を得られなかった会社は精算、財産処分をおこなわなかったり、負債を抱えたまま債権整理に回るなどの市場選考的なバイアス、銀行などがおこなう信用再生産分など、資本収益率と経済成長の話しをするのであれば、同階層で考慮にあたいする部分はあといくつかあるように思う。ここらへんはまた後ほど書きたい・・・。リスクフリーレートより営業活動の収益率のほうが上にくるのはいうまでもないことだと思うのだけれども。

直営店の店舗不動産をフランチャイジーに払い下げしてその売却益を本業の利益にのっけるなんてことをしてちゃダメだってのは、営業外の収益がそんなところに乗ってしまっては企業の成長力を見誤るからだ。でも、実際はそこまで含められた値として出てきてしまっているので本業の成長率をみたいときはその影響を取り除いてやらにゃならん・・・。

つづく

ま、ちょっとこの方向で書き続けると泥沼るのでこれくらいにして、次回以降は実際に日本のデータとかみながら、ストックとフローについて考えたいと思います。ちょうど平成25年度国民経済計算確報(ストック編)も1/16に出たしね。

いやぁしかし、書いてていったい誰に伝わるんだろうかとすごい不安になる内容でした。
この回はまるごとお蔵入りにしてもよかったかもしれない・・・。

このシリーズは[財福主義]タグでまとめてます。

参考引用など

貸借対照表作成の手引き – 国税庁
www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinkoku/shotoku/tebiki2010/pdf/42.pdf

企業会計原則―貸借対照表原則―資産の評価基準―取得原価主義会計(簿価会計・簿価主義会計) 取得原価主義会計とは
kanjokamoku.k-solution.info/2005/06/_1_132.html


第四夜 co-枯れた才能


あなたが10年かけて身につけたものが割り箸を綺麗に割る程度の技能だとしても挫けてはならない。どうせ能力の消費期限は年々短くなっていっている。あなた自信をアップデートすればよいだけだ。

学習・訓練することへの投資が重要であることに疑いを挟む余地はない。得られる成果に個人差はあれど、どのような分野であっても効果が見込める数少ない万能のアプローチである。

輪転印刷機などの印刷機械が発明された18〜19世紀に大幅な出版コストの改善があり、本の価格がさがったことで図書館がつくられ、そして世界中に大学がつくられるようになった。20世紀終わりにはインターネットが発明され、インターネットは印刷に次ぐ規模の情報流通コストを下げる革命となった。まだ大学を継ぐような高等教育方法はでてきていない。moocなどいくつもの試みがなされている段ではあるが、そう遠くないうちに、学習と訓練の投資効率を格段にあげてくれる方法が確立するだろう。

人材価値を無視することへの疑問

ピケティの21世紀の資本では人材価値が最初から考慮外においている。「実物資本がなくて人的資本に意味があるんですか」「人的資本は物理資本にも反映されているのだ」というエクスキューズは無理筋なのではないか。

人の価値は企業価値会計にこそ乗ってこないが現在の企業評価上は重要な位置をしめる。中の人たちが欲しいからとチームを買い上げるために企業買収などがなされることがあるのに、そこの経済的価値をまるっきり考慮外におくのは変な話しだ。

例えば教育というコンテンツだけをみても、そこをとりまく物的資本がソフトウエア的な価値を内包していたり、比例しているとは考えられない。フランスなんて「のれん代」を企業資産として計上できる制度会計であったように記憶している。ブランドを価値評価できる国で人材のような無形資産についてかくも無碍にあつかってよいものか。

能力の比較優位

デヴィッド・リカードの比較生産費説なるものがある。例えば、農業国家と工業国家があれば、それぞれの得意に集中し生産したほうが、自由貿易下では互いにより高品質で多くの財を享受できるというものだ。

投入できる資源・労働力が同じであれば互いの得意なところで分担したほうが結果がよりよいものになるというのは、国よりももっと小さな法人レベルの組織でも言えるし、家庭のような最小単位でも言うことができる。労働生産が可能な複数人が参加する社会において、よりよい未来をつくろうと協力しあうのであれば、その人物は他の人物と比較して優位な部分を分担しあうのがよい。

社会はゲーム理論でいうところの非協力ゲームではないので、そのうちにその比較優位が機能するところに均衡するものと期待できるのではあるが、均衡するためには十分な繰り返しがなされなければならない。だが、個人の人生という単位でみれば根幹からの職業変更をするような機会は少なく、日本では雇用自体も非流動的であるために不適合、不合理なまま世代が終わるということはままあることである。

また個人よりも法人組織のほうが収益力も成長力も上であるので、個人の能力の比較優位の組み合わせよりも法人間の生産能力の比較優位が優先される。個人能力の比較優位が「声が大きい程度」でも、組織内政治を繰り返し非協力ゲームをしかければ能力の優位性での競争も潰すことができる。その組織の全体の生産能力を食いつぶすまでは・・・。
そのために協力ゲームのなかに嘘つきで人を喰う人狼が混じった非協力ゲームが繰り広げられることもあり、人材価値を一意的に推算することを困難にする。

能力の所在価値

プログラミングができるという能力について考えてみよう。
平均的な能力の人がプログラミングを書いたら1秒かかる処理があるとする。
とある人物はそれを0.8秒で終わらせることができるとする。
この人物は他の人に比べるとプログラミング能力というものについて絶対優位を持っているといえる。

だがしかし、処理がわずか0.2秒早くなったところで、それそのものだけで経済的価値を生み出すことは困難である。
だが、プログラミングというのは反復継続するのが得意なので、たとえばそのプログラムをもってある工場の製造工場の制御部分に導入したとすると、一秒あたりの製造効率がざくっと25%も増えるわけだ。いくつものラインで導入されれ製造数が数万、数十万という数に登れば莫大な時間削減、コスト削減、製造能力の増加になる。あるべきところに能力を置くと、経済価値を生むという例である。

だがしかし、プログラムのような複製が容易であるものの場合、社会に必要なのは1つだけである。
0.8秒のものが登場した次点で、多くの1秒のプログラムしか作れない人はお払い箱になり、そして0.8秒の人も0.7秒でつくれる人が出た次点でお払い箱になる。IT業界ではこのようにある日突然価値が無くなることをサドンデス(突然死)とよんだりする。自動機織り機が出た時代、自動車が出た時代のような新陳代謝が恐ろしいスピードで行われているのである。

ITは距離的優位性というタガがまっさきに外れた業界である。程度の差こそあれ、情報化の影響をうけない産業はないので、今後同じような流れは他の産業にも波及していくものと考えられる。
比較優位と所在価値はますます重要なものになるものになるだろう。そして、個人の振る舞いとして陳腐化の波にのみこまれないためには教育、学習が唯一といっていい解決方法である。

つづく

[財福主義]タグでまとめてます。

このシリーズも、あと2回ぐらいでおわれるかなー
もうすこしわかりやすく、面白くかける才能が欲しい。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P327
カッツとゴールディン 高等教育と訓練への投資の明確な重要性
大学教育へのアクセスを拡大する政策は長い目で見れば必要不可欠
しかし1980年以降の米国における最上位所得の急上昇については限定的な効果しかもたなかった
・大卒と高卒以下の所得格差の増大
・TOP1%、さらに0.1% エリート校で学び続けたものに対する報酬の急増

P436
18世紀に比べ、明らかに教育がずっと重要な役割を果たす
でもだからといって社会が能力主義的になったことにはならない。
国民所得の中で、労働に対して払われるシェアが実際に増えたわけではない
人的資本の譲渡は常に金融資本や不動産の譲渡に比べ複雑なため相続財産の終焉が公正な社会を生み出したという考えの確信につながっている

参考引用など

ピケティ『21 世紀の資本』FAQ (v.1.4) 2014 年 12 月 山形浩生
cruel.org/candybox/pikettyjapaneseFAQ.pdf


第三夜 区切られた財。奪えども足りぬゆえ格差


格差がと叫ぶものあり。

かのものは共有すれば余るものを分けることに執心し足りないものにしていった。
働かずとも分配されるのであれば働かなくてもよい。
つくっても奪われるのであれば、つくる気力もなくなる。
そして創られるものは減り、分けえるものは少なくなっていった。

権力は富をつくったものよりもそれを分配するものに集中する。
企業の場合、従業員、債権者たる銀行、税をうけとるべき国は債権者たりえるものである。株主は最劣後債権者であるが、利益の処分方法を決定できるのは株主だ。株主は余ったものを最後にとる。分けるものは一番最後に受け取らねばならない。

もし、この順序が逆であったらどうなるであろうか。従業員も雇えず資金調達もできなくなり、生産活動に必要な再投資もできなくなる。次の期に撒くはずの種籾まで食ってしまえば、次の実りはさらに少ないものとなろう。あなたの権力者はどうであろうか?

税引前の当初所得格差

格差はどこで生まれどこで拡がっているのだろうか?

日本の厚労省の所得再分配調査によれば当初所得格差は拡大しているが社会保障費含む再分配所得の格差は縮小してきている。つまり、「稼ぎ」では差がついてきていてるが「分配」後の格差は縮まっている。

格差の議論をするときには、ぜひこの当初所得と再分配所得というものをわけて考えて欲しい。正社員や派遣社員の議論で給与などの待遇面、衛生環境の悪さが話題になるが実際のデータでは稼げなかった人も社会保障による再分配を受けているので結果としては格差は縮められているのだ。

データをみてみよう。

所得再分配調査
www.mhlw.go.jp/toukei/list/96-1.html
www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12605000-Seisakutoukatsukan-Seisakuhyoukakanshitsu/h23hou_1.pdf
所得再分配

Screenshot 2015-01-11 23.59.52

このレポートで注目して欲しいのは当初所得50万以下の貧困層の増大である。非正規社員が増えているからだという指摘をするものもあろう。しかし、日本の場合はそもそもが労働資本を持たず、働けない老齢人口が増えている構造だということも忘れてはならない。

年齢階級別再分配
現役世代の再分配係数はマイナスである。

OECD諸国中でも、日本はもともと当初所得の格差は小さい国である。
しかし、税による再分配比率はほとんどないため、社会保障で年金などが再分配がなされる老齢層に比べ、低所得の生産労働年齢層(現役世代)の可処分所得の助けにはあまりなっていないことにも注目すべきである。(子育て手当と生活保護ぐらいはあるだろうが・・・)

Screenshot 2015-01-12 00.06.51

本来は成長へ回るはずであった財を、介護や地方などの成長が期待されていない部門にまわしていてるのだから、当然成長には悪い影響がでる。

地域ブロック別

賢人の再投資

スティーブ・ジョブズであったか、はたまたゲイツかバフェットだか忘れたが「あなた稼ぎに比べ寄付が少ない」という問への返答を見てなるほどと思ったことがあった。

「毎年寄付をしていくよりも、私が持っていればどんな年金基金よりもよいパフォーマンスが出せる。死んだときに寄付をしたほうが全体として寄付できる額ははるかに大きくなる。」

例えば、資産の平均成長率が5%の社会において毎年20%づつ資産を増やせるバフェットなみの賢人がいたとしよう。この賢人は資産を将来有望な事業化に助力することができる才能をもっているとする。
この人物が資産1,000万から運用を始めたとすると10年後には6,191万、20年後には3億8,337万、30年後には23億7,376万、40年後には146億9771万と恐ろしいスピードで財が増えていく。[計算式:元本*(1+20%)^年数 ]

だがしかし、この人があげることができた利益をこの人自身が再投資することをよしとせずに、平均成長率5%から飛び出た分は税なり寄付として毎年徴収し平均成長率5%に届かない人たちに分配したとする。40年後はそれはどうなっているか? [計算式:元本(20%-5%)年数 ]
彼が寄付できた金額は40年間の合計で6,000万分になる。彼が5%成長で残せた富7,039万分をあわせても、その差は145億分にもなる。バフェットのように80歳を超えても現役なら、この再投資期間は60年にも及び、5,634億7514万もの差が生まれる。しかも再劣後である株主の取り分としてだけでだ。

投資の話しをすると、どうせ誰かから奪って集めた富なのだろうという了見の人もでてくるかもしれないが、人より多く収穫できる農家でも、鶏を育ててる畜産業のひとでもよい。他のひとより10%ぐらいパフォーマンスがよい人はいるであろう?その人の高パフォーマンスからくる成果を毎年摘みとって収穫し、再投資をさせず、他の一般的なパフォーマンスのところにばらまいて調整したらどうなるかを計算したものである。
高パフォーマンスの人の成果を平均に均せば時間経過と伴に著しい成果差が生ずる。

所得格差と能力差

もし、人の才能や仕事が誰もが真面目に取り組みさえすれば本質的に成果も均一なものであると無垢に信ずるのであれば、開腹手術をするときに医師などつかわず、次に手術を待っている患者におこなってもらう仕組みを提案してはどうだろうか?

能力は残念ながら平等ではない。
技能や才能はいくつもの試験などで量られ教育と訓練でさらに磨かれる。同じ人物であっても赤子のときと壮年期と老齢期では仕事の成果にも差が出る。つまり、個体差もあるし同一固体内でも時間によってことなる。成長率や収益率は固定値ではない。

自由競争社会では能力差によって結果に差が生まれる。
日本でも競走の結果で差がつくようになってきているが、その差は再調整されて、足が早いひとも遅いひとも同じようなタイムになるようになってきているのは所得再分配からの調査でわかってもらえたと思う。

これらの再分配調整が行き過ぎると足の早いひとは遅く走っても一緒だと思うようになるし、足の遅いひとは走らなくてもいいや、走るだけ馬鹿らしいということになる。事実、日本のここ数十年の成長率を見ると超低成長になっているので、既に牛の角は矯められていると言っていい。

再分配所得の格差を縮めるために、成長セクターの成長を衰退セクターを支えるために割り当てるのは成長には負荷になる。どのように富を創りだすかではなく、どこから富を獲ってくるか、お金をひっぱってくるかしか考えないようになる。現状の政治は既にそうなっているようにも感じる。物事の筋としては、当初所得が稼げない人をださないようにすること。つまり貧困者を出さないようにする仕組みを考えなければいけない。老齢で働けなくなった人たちにどう価値創造にまわってもらうかを考えなければいけないのだ。

経済成長と格差には相関関係はあるが因果関係はない。従属変数である格差や貧困率を再分配により下げたところで、当初所得の格差は埋まらない。
経済が成長すれば収入が増えるひとがでてくるので過去と比較して収入差は拡がるかもしれないが、それをさして当初所得格差がうまれたのは経済成長をめざすからだと結論づけるのは間違っている。テストの満点を下げれば最高得点と最低得点の格差は縮まる。それをもって0点をとった子や白紙で答案を提出する子との差が縮まったと喜ぶのは間違ってるでしょうょ。

徒競走をすれば足の遅い人と早い人に差が開くのはあたりまえじゃないか。足の早いひとに重しをつけたり、足の遅いひとに短い距離でいいよとハンデキャップをつけてあげたりすることで、結果の均衡をとることはできる。でもそんな競争で一体何がしたいんだい?

現役世代から摘んで老齢世代の維持のためにつかう。成長分を摘んで限界集落の維持のためにつかう。
それは格差是正だろうか?少なくとも当初格差の是正にはつながらないのではないかと考える。

好むと好まざるとにより我々は生存のために食物などを消費する。その分を生産をしなければならない。この生産量の質と量が生活の余裕である。
早く走れる人を早くは走らせない、競走もさせないというのは、結果の均衡化にこそなれ、そこから産まれてくる結果の質や総量はしょぼしょぼのカッスカスになってしまうのである。個々の成長なくして全体の成長はないのであるから、競走をできる環境と適性なルールが重要なのだ。

つづく

あー、次はトリクルダウンあたりか、才能の比較優位とか人口動態について書こうかな。
希望があればどぞ。
[財福主義]タグでまとめてます。

21世紀の資本論からの参照箇所等

P446 資本収益率の格差
・ポートフォリオ管理の仲介者を雇える
・規模の経済が存在する
・資金がある場合のほうが不確実性を許容できる

P461
まったくの盗窃による財産はなかなかないが、同時に完全な能力による財産もほとんどない。
1987-1994 ビル・ゲイツの前に「フォーブス」ランキングの第一位を占めていた日本の億万長者(堤義明、森泰吉郎)
かれらの資産はすべて、不動産および株式市場のバブルによるものか、芳しくないアジア流の駆け引きによるものと考えられているせいかもしれない
* 堤義明 西武鉄道グループの元オーナー
* 森泰吉郎 森ビルオーナー
日本の1950-1990年の成長は歴史的に空前の水準で、起業家たちが何らかの役割を果たした

P496 社会国家の形
国民所得の4分の1から3分の1を消費している。半分は保険医療と教育、残りはだいたい所得と移転支払い(*13章10 オンラインS13.2)

P498
現代の所得再分配は、権利の理論と、アクセスの平等という原理に基いて構築されている

参考引用など

3 税・社会保障による所得再分配 – 内閣府
www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je09/pdf/09p03023.pdf

日本の所得再分配―国際比較でみたその特徴 太田 清
www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis180/e_dis171.pdf

P.2 要旨
問題意識
経済協力開発機構(OECD)が 2005 年に出した各国の所得格差に関する分析や、
2006 年の「対日経済審査報告」では、日本は政府による(税、社会保障による)
再分配の前の所得では比較的平等な方であること、しかし、再分配が小さいた
めに、再分配後の可処分所得では不平等な方になっていることを指摘している。
また、特に労働年齢層(現役世代)の低所得層に対する再分配が小さいことを
指摘している。

日本の景気回復には格差是正が必要か?
fromdusktildawn.hatenablog.com/entry/2014/11/30/072247

日本の格差はなぜ広がったのか/「ジニ係数」が過去最大に
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131021-00000001-wordleaf-soci

所得格差の拡大は経済の長期停滞を招く ニッポンは「一億総中流」でなくなるのか
toyokeizai.net/articles/-/44935

限界集落維持のコストは国土交通省が検証へ
いままで限界集落の維持コストの試算すらしたことがなかったようなのだが今度4モデルでするそうだ。NHKのニュースであったがニュースソースが消えている。